サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」50代で読み返したからこそ気がついた事

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ライ麦畑でつかまえて

ライ麦畑でつかまえて、に捕らえられた

つい先日「ライ麦畑でつかまえて」をふと読み直したくなった。実に30年ぶりに読み直した。51歳のおっさんから見て、この本がどんな風に見えるのか?

 この本を初めて読んだのは、1986年の3月20日から26日にかけて。読書ノートに、そう記録されていた。オレは19歳。大学合格後に、ちょうどアパート探しに北海道から上京した時だった。網走発の特急〜青函連絡船〜青森発の寝台特急を乗り継ぎ、知床から上野にたどり着くのに24時間もかかった。その旅のお供として、ライ麦畑を一冊持っていったんだな。

 最初に「ライ麦畑」を読もうと思ったきっかけは、恥ずかしながら、斉藤由貴さんだった。彼女のインタビューで、大好きな本として取り上げられていたのだ。

 おれが最初読んだ時の正直な感想は、「ちっとも面白くなかった」だった。ただ、だらだらとホールデンの彷徨が描かれているだけ。若者の社会への、体制への反抗、だの何だのなんて面には、ちっとも共感出来なかった。こんな小説の何処が良いのだろうと云うのが正直な感想だった。ところが、、、、

21歳の時に読み直す

 その2年後に読み直して、この小説の面白さにとらわれた。21歳のオレ、大学3年生。最初はさっぱり面白いと思わなかったこの本だが、2年の月日がオレを変えてしまったんだろう。この時は夢中になって読んだね。そして主人公のホールデンにとっても共感したのだ。

 誰も知り合いのいない東京に単身乗り込み、初めての一人暮らし。全てを自分でしなければならない。誰も当てに出来無い、悪戦苦闘の毎日。オレの大学時代の前半はそんな感じだったかな。

 月並みな言い方だけど、社会からの疎外感とか、孤独感、そんな気持ちを常に抱き続けていた。この時ばかりはホールデンの気持ちと、自分の気持ちがぴったりと一致したね。そんなわけで、あのつまらないと思っていた小説が、とても面白く感じた。そうだ、そうだ、こんなインチキ野郎みんなぶっ飛ばしてしまえ! Destroy all! もう気分はJohn Lydon、パンクな気持ちで読んでいたものだ。

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オレがお薦めするのはもちろんこの翻訳だ。
ノーベル文学賞落選作家の翻訳は勧めない。

実は皆が社会不適合者

 社会に馴染めるか? 馴染めないか?。ホールデンはもちろん馴染めない側の人間だ。インチキ野郎ばかりの社会で、多くの人はインチキを身にまとい、その事を苦にも思わない。それがホールデンには苦痛でしょうがない。だから氣が滅入ってくる。

どいつもこいつもインチキ野郎。社会そのものがインチキで出来ているから、そこで順応するにはインチキ野郎にならなければならないのだ。ホールデンはそれを拒絶する。だから高校を放校され、社会からもつまはじきにされる。

 本当はみんなそのインチキに氣がついているのに、氣がつかないふりをして日々を生きているんだ。そのいやらしさにホールデンはつばを吐く。そんなものに馴染むくらいなら、自分はこんな社会のの中の異物でいよう。生き辛くっ立って構わない、そんなインチキに染まるくらいなら、異物のままのほうがマシだ。

 それって何かに似ていないか? そうPhilip K Dickの小説群に登場する主人公達と一緒だ。SalingerそしてPhilip K Dickみたいな作家の書く小説が、単なる流行小説に終わらず、長い間読み継がれて行くのは、そんな違和感を感じている人たちが少数者じゃないって事なんだ。

 多くの人はここまで極端では無くても、ホールデンの様に感じて、憤って、でもそれを隠してインチキ人間の様に振る舞って生きている。

現実は自分で作り出している

 ところが最後まで読み進むうちに、全く違う考えが浮かんできてしまった。ホールデンが放校されて、家にたどり着くまでに出会ってきたインチキ野郎、行くあても無い彷徨。これは他でも無い、自分が作り上げた地獄、自分地獄の放浪記なんじゃないかって。何処に行っても心休まる所は無く、ホールデンはただ 無目的にニューヨークの街をさまよう。何処に行ってもこのインチキだらけの、インチキ地獄。

 そりゃあそうさ、そのインチキ地獄を作り出したのは、ホールデン本人なんだから。だから何処に行ったって、インチキばかりだ。何故なら、ホールデンその人こそ、そのインチキの張本人なんだから。

 ホールデン本人が意識して自分を変えない限り、何時までたっても、何処に行ったって、そのクソったれな社会は常について回る。何処にだってついて回る。何故なら彼こそがインチキの張本人なんだから。このインチキな社会はを変えられる唯一の方法は、自分のモノの見方を変える事なんだ。

オイ、ホールデン、お前こそインチキ野郎なんだよ!

 金持ちのボンボンの、甘ったれたクソガキが、自分を差し置いて、社会のインチキを糾弾するって。おい、ちょっと待てよ、ホールデン、オレに言わせればお前こそがインチキ野郎だ。お前が糾弾すべきは自分そのものなんだよ。

 そんなクソガキだが、最後には精神病院で治療を受けてちょっとはまともに戻る。今までインチキ野郎と糾弾していた相手が、愛おしく懐かしく思えてくる。そこに自分が変わって、社会が変わって見える、その萌芽が見て取れる。

 最後の最後で、J.D. Salingerがこの本に込められた本当のメッセージが出てくる。自分の見ている社会は、自分が作り上げたものなんだよって。社会に対する怒り、憤り、不平不満、それら全ての感情は自分が作り出したもの。自分がインチキ野郎だから、全てがインチキ野郎に思えるのさ。

 51歳のおっさんになったからこそ、この小説に込められた秘密の暗号に気がつく事が出来た。それこそこの小説の本当の恐ろしい所。若者の社会への反抗だのといった、安っぽいテーマが描かれているわけじゃないんだ。社会は変えられないが、自分は変えられるんだ。

 まあなんにしても、若かりし頃に読んだ、影響を受けた小説を読み直すって意外な感想が浮かんできて面白いよ。

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ここまで読んで頂きありがとうございます。

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