至極のメロディー キンクス名曲20選
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The Kinksが世に送り出した音楽という宝石の数々
キンクスと聞けば、一般的にはyou really got meのバンドぐらいのイメージしかないと思う。あの印象的なリフを作ったロックバンドだと。パンクやヘビメタの元祖なんて言われる事もある。The Kinksにはそういう一面も確かにあるのだが、このバンドの本当の魅力の一つは、素晴らしい、そして美しいメロディーにある事はあまり知られていないだろう(特に日本では)。
The Kinksが世界中で、ここまでマイナーに(大爆笑)愛されてきたのは、やはりRay Davies様の作るメロディーラインが、通な人たちの心をくすぐってきたからじゃないかとオレは思う。某カブトムシズみたいに誰かの何かの思惑で売り出されたバンド(そう大衆操作の一環としてだ!)よりも、遥かに良質なメロディーを量産してきたRay様。Ray様は自力でメロディメイカーとしての地位を不動のものとしてきたのだ。
戯事はここまでとして、今回はそんなRay様が作り出してきた、至極のメロディーを取り上げてみようと思う。The Kinksの全アルバムから、オレの心をくすぐる、甘美なメロディーを20曲あつめてみた。それにしても名曲の山の中からこれだけ絞るのも大変だった。今回は美しいメロディー、1度聞いただけでも鼻歌を謡ってしまうようなメロディーを中心に選んでみたのだ。
どれもこれも、普通のバンドなら1生涯に1曲書けるかどうかという、天に届くような名曲ばかりだ。そんなRay様の才能は、同業者のミュージシャンにはとても高く評価されているので、彼らの曲のカバーは異常なぐらい多い。
それに比べるとThe Kinksの一般大衆の評価は余りにも低いといえる。こんな記事を書いて、少しでもThe Kinksが世に送り出した、音楽という宝石を多くの人に知ってもらいたいのだ。
今回の記事を読むにあたって、いちいち一曲ずつ聞いてられないやという人向けに、Spotifyで「The Kinks 至極のメロディー」と題したリストを作っておいた。オレの拙い文書を読まずとも、The Kinksの名曲に酔いしれて欲しいと思う。
至極のキンクスの名曲20選
★Set me free
これは1965年に発表されたKinda Kinksの収録曲。これを聞けば明らか。最初期からRay様の才能は開花していたのだ。
★Sunny afternoon
1966年発表のFace to Faceに収録。曲はとても美しいのだが、歌詞がとても面白い。貧乏階級に生まれてしまったら、せっかく稼いでも税金でがっぽりもっていかれる。移民のチャンスもない。手元に残るのは西日のみという、本来なら悲壮感あふれる悲しい労働者階級の唄をなんとも言えないユーモアでコーティングしたこの曲。The Kinksの特徴でもある悲喜劇曲の代表曲とも言える。
★Autumn Almanac
1967年発表のSomething else by the Kinksに収録されたフォークロック調の曲。実に地味な曲なんだけど、聞けば聞くほど味わいが増す。
★Waterloo sunset
1967年発表のSomething else by the Kinksに収録。ロンドンのご当地ソングとしても良く知られる。Ray様が作った傑作曲の代表曲の一つ。ロンドンオリンピックの閉幕式に、Ray様がこの曲を歌ったのを覚えているだろうか?
★Picture book
1968年発表The Kinks Are the Village Green Preservation Societyに収録。世間ではサイケデリック・ムーブメントで精神の拡大だのラリラリだので大騒ぎしているのを余所に、The Kinksは両親の思いでの写真帳について歌っている。The Kinksは誰にも似ていないのさ。
★Plastic man
1969年に発表されたシングル曲。軽快な曲調とは裏腹に、何も考えず流行りものに飛びつくような中身の無い人間をこき下ろす唄。
★Victoria
1969年発表 Arthur (Or the Decline and Fall of the British Empire)の冒頭曲。19世紀の大英帝国の繁栄を築いたビクトリア女王を褒め称える唄。そしてオレの結婚式の入場曲でもある。
★This time tomorrow
1970年発表のLola Versus Powerman and the Moneygoround, Part Oneの収録曲。ツアーで明け暮れる日々の悲哀を、美しいメロディーで歌う。
★God’s Children
1971年発表の映画サントラ用に録音されたアルバム、Percyの1曲。サントラ音楽だって手を抜きません。
★Muswell Hillbilly
1972年発表のMuswell Hillbilliesのタイトル曲。このアルバムはこれでもかこれでもかと、社会不適応者について歌われているのだけれど、曲調はアメリカンで軽快という捩れ具合がもうたまらない。
★Celluloid Heroes
1972年発表Everybody’s in Show-Bizの代表曲。
★Sweet lady Genevieve
1973年発表Preservation: Act 1の1曲。1993年の来日時には、開幕時にRay様はアコースティックギター1本だけをもって現われ、この曲を歌ったのが忘れられない。
★Salvation Road
1974年発表のPreservation Act 2に収録。
★Headmaster
1975年発表のSchoolboys in Disgraceの1曲。哀愁のメロディーにハードなギターが印象的なこの曲だが、歌詞は校長先生に罰としてお尻をぶたないでと哀願する内容。
★Life on the road
1977年発表Sleep walkerの冒頭曲。緩急自在の曲調、それに合せて変化するメロディーが最高。
★Mr. Big Man
同じくsleep walkerより。
★A Rock ‘n’ Roll Fantasy
1978年発表のMisfitsより。
★Come Dancing
1982年発表State of Confusionの1曲。The Kinksの最後の大ヒット曲になってしまった。
★How Do I Get Close
1989年発表UK Jiveの1曲。全然売れなかったU.K Jiveだけども、あいかわらず名曲揃い。Londonレーベルで発売されたアルバムは1枚もSpotifyに登録されていないので、この曲だけyoutubeへのリンクを張っておく。曲の内容が切ないのに、なんでPVは水着のネーチャンばっかりなんだ?
youtubeへのリンク:How Do I Get Close
★Did ya
1991年発表のEp、Did yaより。
The Kinksと言うバンドの悲喜劇
こうやって各アルバムを見ていると、The Kinksはアルバムタイトルが長過ぎるものが多い事に気がつく。それが取っつきにくい理由の一つなのもしれない。売れるアルバムはやはり単語一つって云うのが多いように思う。例えばHelp!だの、Nevermind等々。売れる為には、単語1つか2つしか理解出来ない頭が悪い人にも受ける要素が必要なんだと思う。
まあそんな事はどうでも良いのだが、こうやって20曲絞ってみると、なんとRay様のメロディーメーカーとしての才能の凄さに驚かされる。某有名ロックミュージシャンの売り上げを想像すると、Ray様の数十倍アルバムを売っているはずだが、彼の作った歌はどれも似たり寄ったりのメロディーばかり。そりゃあ売れるわ、どれもおんなじ名曲なんだから。曲が作れないから主夫にもなるわな。
そんな皮肉はどうでも良いとして、The Kinksの悲喜劇としては、Ray様の作曲能力が素晴らし過ぎるというのがあると思う。60年代中期には、Ray様はいろんなミュージシャンに数多くの楽曲提供をしてきた。どれも良い曲ばかりだ。ところがさっぱり売れなかった。
もしその時それらの楽曲が大ヒット連発だったとしたら、きっとRay様はThe Kinksをやめてただの作曲家になっていたかもしれない。そうなっていたとしたら、こうしたThe Kinksの素晴らしい楽曲も世に出る事はなかったのかもしれない。
そんな事を考えると、The Kinksというのは、なんとも微妙なバランスの元に長年存在していたんだな。石がコロコロ転がるように売れ過ぎていれば、きっと70年代の物語性を追求した素晴らしいコンセプトアルバムなんか誕生していなかったろう。
そういう意味で、The Kinksがこんなにも低評価だったりするのは、これまた神の絶妙の采配としか言いようが無い。この試練は、これらの素晴らしい楽曲を生み出す為に必要な事だったのだ。こんな宝物のような楽曲を味わう事が出来るオレ達少数派のThe Kinksファンてやつらは、ある意味選ばれたロックファンとも言える。
God save The Kinks!
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