フィリップ・K・ディックの高い城の男 高次の存在による救済

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21世紀にPhilip K Dickブーム到来か?

 一昨年からオレのPhilip K Dickブームがやって来ていて、この2年で20冊以上彼の本を読み直している。没後40年近く経つと云うのに、未だに毎年何冊もの未邦訳本や新訳本が出版されている。

 そんな『新作』を読んでいると、そういやあの話はどうだったっけ? みたいな事で昔読んだ作品も読み返している。それにしても没後35年に新刊が次々と出版される作家というのも凄いものだ。

 つい先日は「高い城の男」を読み直した。この「高い城の男」は、アメリカでTVドラマ化されていて、お得意のシーズンモノになっているようだ。

 現在シーズン2まで放送されている。さら2018年10月にシーズン3が放映待ちになっているようだ。原作をずいぶん膨らませているようだが、ちょっと見たい気がする。が、今のところこのシリーズはAmazonの配信のみのようで、地上波では放送される見込みがないのがとても残念だ。

TVドラマ版高い城の男

前からこのTVドラマ版が気になって仕方がなかったんだが、こんな文章を書いていたら、ついつい第1話を見てしまった。駄目だこれは、面白いぞ。もう抗えない。映像もなかなかキレイだ。制作総指揮が、Sir Ridley Scottだけある。シーズン1は全部で10話。それぞれが1時間もある。これはもう見るしかない! 以下トレーラーを張っておく。

観てから読むか、読んでから観るか? ←どこかで聞いたセリフだ

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小説「高い城の男」の世界

「高い城の男」は間違いなくPhilの傑作の1つで、話の展開、プロットの破綻の無さ(といってそのプロットの破綻なんかPhilのファンは全く気にしていないのだが)、などから彼の最高傑作とも云われている。出版は1962年。翌1963年にヒューゴ賞を受賞している。日本では1984年に、浅倉久志さんの邦訳が出版された。

物語は第二次世界大戦で日本とドイツが連合国に勝利した、架空のアメリカが舞台になっている。数多くの登場人物が出てくるのだが、それぞれの人物が一堂に会する事は最後までない。だけどもお互い見ず知らずの個々人がストーリーの中で、何処かで何かのつながりがあって事態が進むという、なかなか凝ったプロットになっている。お互いがお互いを知らないのに、各人の行動が有機的にひとつの物語を紡いで行くのだ。各人のつながりを知るのは、著者と読者のみ。

高い城の男 (ハヤカワ文庫 SF 568)

 物語はアメリカと日本の両陣営に分断されて統治された、アメリカに住む人々の生活が描かれている。そんな抑圧されたアメリカ人の間でアングラ小説として秘かに読まれているのが「イナゴ身重く横たわる」という作品。

 なんとこの作中作品は、アメリカ側が日本とドイツに対して勝利したという架空の世界を描いた作品なのだ。「高い城の男という」架空の世界で、架空の(いや本当の)世界の小説がベストセラーになっているというややこしい入れ子構造、もうこの設定で頭がくらくらしてくる。こんな倒錯した作品の構成を考えつくのは、Philならではだと思う。

 面白いのが、「易経」が作品の中でとても重要な役割をしている事。日本に占領された地域のアメリカでは、日本からもたらされた易経で、人々がこれからの自分の行動を占うなんてシーンが何度も描かれている。占領者が被占領地に何かを押し付けるわけだ。

 実際の日本の場合はアメリカの軽薄な映画やTV、コカコーラに代表される毒物が押し付けられてきた。本来米食の日本人が、給食でパン食を押し付けられたのは、単に余剰麦の消費の為。それを慈善援助と呼ぶ。現実は偽善の世界だ。

 そんなゴミを私たち日本人は、日本の文化より優れたものとして崇めてきた訳だよ、この戦後。そう考えたら中国伝来とはいえ、易経をアメリカにもたらすなんて、この架空の世界の日本の統治は決して悪いものとは言えないだろうよ。

SFといっても色々なジャンルがあるわけで、宇宙人や飛行船が出てくるものだけがSFじゃない。現実と似てはいるけど、何か違う世界を描くというのも立派なSF作品。

 Philの作品で一番だとオレは思っている「A scanar darkly」(邦題:暗闇のスキャナー。もしくはスキャナー・ダークリー)なんかも、覆面麻薬捜査官が破滅しながら、麻薬の供給源を突き止めるという話で、けっして科学的なSFじゃない。

 「Valis」に至っては宗教小説だし。でも決して主流小説じゃないからSFなんだろう。本当の歴史とは別の世界を描くのもSFたりえる。

 Philの作品のプロットではお馴染のパターンだけれども、この「高い城の男」も物語の最後の最後で、たった一文で、それまで展開してきた話を全てぶち壊しにして、ひっくり返してしまう。Philファンとしては、まさにこれこそPhilip K Dickの醍醐味。もうカタルシスを覚えるね。

(もしこの作品を読もうと思っている人は、ここから下は読まない方が良い。作品の大事なオチを書いています)

易経が作品の本当の主役

  30年ぶりぐらいに読み直したこの作品、当時のオレはまだ数作程度しかPhilの作品を読んでいなかった初心者だった。正直、当時この小説はあんまり面白い話じゃなかった。だから長らく読み返していなかった。

 ところか今回読み直して見ると、話が進めば進む程どんどん物語の面白さ、構成の面白さに夢中になった。そしてカタルシスがやってきた。

 物語の最後で、作中に登場する「イナゴ身重く横たわる」の作者が易経で作品について占いをたてる。そしてそこに出た卦が語るのは、その本「イナゴ身重く横たわる」に書かれた内容こそが現実だと告げる。なんと戦争に負けたのはアメリカじゃなく、日本とドイツだと、易経は真実を語るのだ。

 じゃあ、この作品の世界はなんなんだ? 最後の最後で、この物語そのものを否定してしまうのだ。この作品世界こそが架空だという。なんと云うオチなんだろう。

 Philの作品は他にも、最後で全てがひっくり返るなんて事が多くて、彼のファンは、今度はどんなちゃぶ台返しをしてくれるのだろうと期待しながら読んでいる。それにしても、この「高い城の男」のどんでん返しを読んだ時は、あまりの見事さに拍手喝采してしまったよ。

高い城が示唆する者は、高次の知性の事か

 「イナゴ身重く横たわる」の作者ホーソーン・アベンゼンはかって住んでいた邸宅ゆえに高い城の男と呼ばれていた。が、今実際に住んでいるのはちょっと広い程度の家だった。それにしても作品のタイトルにもなった「高い城」とはいったい何を意味しているのだろう?

 作品の最後でホーソーン・アベンゼンは告白する、易経との契約で「イナゴ身重く横たわる」を書いた、と。「イナゴ身重く横たわる」は易経がこの世の真実を伝える為に、ホーソーン・アベンゼンを媒介して書かれた小説なんだという事が判明する。

 「高い城」が示唆するのは、易経という人知を超えた高次の存在を意味しているんじゃないかな。だから「高い城」に住んでいるのは、ホーソンではなく、易経の智慧をこの世にもたらした高次の存在。作品中でも、ホーソンは、そのかって住んでいた「高い城」のエレベーターに乗るのが怖くて、今の住宅に越してきたと告白している。高次の存在に近づくのは恐ろしい事なのだ。

外部からの介入というこの小説世界の構造

 ここまで論じてきて、彼の別の小説とこの高い城の男の類似点に気がついた。この作品も、ユービックも、同じ構造を持った小説なのだ。高い城の男は、易経という存在が外部から、この世は虚構の世界であると教えられる。アメリカが勝利した世界こそ真実だと。

 ユービックも又、その主人公たちが活躍する世界が、外部にいるランシターの介入によって虚構の世界だと知る。プロットは全く違うが、作品の構造としては非常に似通っている。この世は真なのか、偽なのか? そのモチーフはPhilの晩年の作品、「聖なる侵入」で更に深く追求されている。

 Philにとってこの世界はとても生きづらい世の中だったという事が、彼のインタビューの中からも伺われる。憎しみと、悲しみに満ちた。だからこそ、この世はニセモノで、本当の素晴らしい世界があるんじゃないかと、夢想していたんじゃないだろうか?

 自分が見るこの世界は夢で、目を覚ませば素晴らしい世界がそこにあると。自分の住む世界に違和感を覚える人にとって、Philの小説は一種の救済であり、それゆえ多くの人が彼の作品を愛読している理由なのかもしれない。

 そう、救済こそPhilip K Dickの小説群に流れる主題なのだ。


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