フィリップ・K・ディックの新刊が続く そして現代は彼の描く悪夢を超えた

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今年で亡くなって37年目 未だ次々と出版される新作

 Philip K Dick様が亡くなったのは、1982年の3月2日の事。脳梗塞で倒れているのを発見され後、脳死判定された。家族の同意の元生命維持装置が外されたのが3月2日だった。享年53歳。Philはオレよりも、ずっと年上の作家と思っていた。だが、気がつけばオレも彼とほぼ同い年になってしまったじゃないか。

 もうそんな昔に亡くなった作家だと云うのに、この数年彼の新作が次々と出版されている。長年のファンとして、それはとても嬉しく思う反面、とても不思議に思う。もちろん新作と云っても、Philの頭脳を電脳に移し替えたAIが新作を書いて発表するとか、Philの霊が乗り移った霊媒が執筆するわけでは無い。もしそんな事で作品ができ上がるとしたら、それはそれでPhilip K Dickワールドで面白いのだが。

 Philが亡くなって今年で37年目になる。新作と云っても、これまで未訳だった作品とか、サンリオSF文庫で長らく絶版になっていた作品が別会社で再出版、もしくは別の翻訳者による新訳、もしくは過去にハヤカワで出版されていた作品の新訳、ということなんだけどね。

書店ではPhilの新作が平積みに

 たまに本屋に行けばついついSFコーナーに立ち寄ってしまう。すると目にするのは、Philの新作が平積みになっている。現役のSF作家の作品よりも、Philの新作の方が目立つ場所に、しかも量も多く置いてある事が多いのだ。いったい今は西暦何年なんだ? 実は今は西暦7年なんじゃないのか? ローマの圧政下にある地球に我々は生きているのか? ←Philのファン以外には意味が解らないだろうが、あえて解説しない。確かに今の世界は、黒い鋼鉄の檻で覆われている。

 最近の作家の作品よりも、37年前に亡くなった作家の本の方が目立つ様に置いてあると云う事は、これは間違いなく売れている証拠なんだろう。これまでオレはPhilのファンなんていう代物にはお目にかかった事は無い。だが、こんな日本の流刑地みたいな辺境にも数多くのPhilのファンが、人目を避けるように生息しているという事だろう。こんなクソ田舎だというのに、プログレ・ファンの比率が高かったりするのは、日本の鬼門ゆえ極端な人間が集中しているのだろうか? と訝しむのであった。

 つい先日読み終えた「シュミラクラ」もそんな「新作』の1つだった。ハードコアなPhilのファンとしては、この作品の存在は知っていたものの、待てど暮せど邦訳が出版されず、これでやっと読む事が出来る事になった。シュミラクラは2017年に出版された作品。つい先日購入したのが、2017年に新訳として出版された「銀河のつぼ直し」。

 子供時代からのSFファンとしてはやはり最近のSFも気になる。ヒューゴ賞受賞だのなんだの話題になっている作品を読んで見たりするんだけども、何か物足りない。アイディアに富んだ筋は面白いんだけど、作品の魂的なものがないんだな。そう30年以上前に流行ったシドニー・シェルダンの一連の作品のように。筋は面白い。だからどんどん読める。でも読んだ後に何も残らない。5分後には筋なんかすっかり忘れてしまう。10分後には読んだ事すら覚えていない。今新作として売られている多くの作品は、そんな何も余韻がない、コンビニの商品みたいな消費材ばかりだと断言する。

 それに対してPhilが書いてきたものはというと、どの作品に筋の下に流れている、大きなテーマがあるのだ。それは何かと云うと、何が人間を人間たらしめているのか。目に見えている現実とは、本当に存在しているのか? 魂の救済。そういったテーマが筋を読み進めるうちに、作品ににじみ出てくるように書かれている。だから彼の作品を読み終えた後に、何かずしりと重い読後感が残る。時には作品の登場人物と自分が同一化して、胸が張り裂けるような悲しみを感じる事もある(スキャナー・ダークリーがその筆頭)。

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Philの作品を超える現代の悪夢

 何故フィリップ・K・ディックの作品がこうも長く読み継がれているんだろう? 考えてみれば今のこの現実、アホノ首相の友達であれば犯罪だろうが何だろうが皆許される異様な社会になってしまった。アホと友達なら、税金をネコババしようが、婦女暴行であれ罪に問われない。未来の総理、いや救世主!と、人にすがってばかりの脳足りん野党支持者から絶賛されているとある議員は、怪しい人間達の操り人形。レイプ新撰組だね。何て異常なな世の中なのだろう。Philもびっくりだろう。

 まさにフィリップ・K・ディックが沢山の作品で描いた通りの悪夢が現実化してしまったのが、現在の日本だ。そんな社会で何故フィルの作品がこうも歓迎されているのか? 彼の作品を読めば、同じ悪夢のような社会にいながらも、この現実社会には無いものが描かれている。それは希望。今のこの社会に決定的にかけているのは希望。だから彼の作品を読めば、そこに微かな希望が描かれていて、それが読むものに癒やしを与えているんじゃないかと、オレは思うのだ。

 まさかこんなPhilの世界を超える悪夢に、自分が住むなんて思っても見なかったよ。現実は小説よりも奇なりだ。

 オレは1人の作家を何十年間も飽きもせず読み続けている。そんな作家は他にはいない。

 そう、オレはPhilip K Dickに憑依されているのだ。現実の悪夢から逃避する手段として


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