ネヴァーマインド〜たどりついた涅槃にカートは何を見たのか? Nirvana / Nevermind(1993)
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社会不適応者に涅槃はあるのか?
社会と折り合いの悪い人間は、子どもの頃からこんな疑問を持ち続けていると思う。
「この社会が狂っているのか? それとも狂っているのはオレの方なのか?」
狂っているのはいったいどっちなんだ? と常にそうした問いかけを心の中に秘めながら成長して行く。もちろん親になんかその答えを聞くことなんかできない。
今日も学校で変なことを言ってしまった。変な事をしてしまった。きっと皆はあたしの事を変な奴だと思っているんだろう。Nevermind。誰も気にしちゃいないよ。良いじゃないか、気にするなそんな事は。きっとあたしがおかしいんだ。
そんな社会に対する違和感を抱いて生き続けたあたしにとって、ロックというのは一つの解放だった。その歌には、あたしと同じように世間と馴染めない、この世界に違和感を感じて生きている者の叫びが込められていた。
そうロック音楽というのは、このクソみたいな世界に馴染めない者たちの音楽でもあると思うのだ。社会に馴染めないポンコツが、そのままで社会に認めさせる数少ない表現方法。歌に込められているメッセージは、そうした仲間=社会不適応者に向けられたたメッセージなのだ。お前だけじゃないぞ!と。
この社会が狂っているのか? それともあたしのほうが狂っているのか? 歌にはその問いかけが込められている。お前じゃなく世界が狂っているんだよね? と聞くものに同意を求めているのだ、自分が正気だと言うことを。
ひょっとしたら狂った社会の向こうには涅槃があるのかもしれない
Kurt Cobainもそんな人間の1人だとあたしは思っている。クソみたいな世界に生まれ、社会に馴染めなかった生涯。オレが狂っているのか? それとも世界が狂っているのか? ギターを手にして、世界に対してその問いかけを歌にすると、予想外に大きな反響があった。
ひょっとしたら、やっぱり狂っているのは世界なのかもしれない。彼はそんな希望を抱いたろうと思う。
もしかしたらオレは、このクソみたいな現実の向こう側に行けるのかもしれない。そこには自分たちの世界があるに違いない。歌う事が涅槃に到達する道なのだ。
そうやって彼は沢山の歌を作りつづけた。涅槃を夢見て。そこに行ければ、この狂った世界とはおさらば出来るという希望を胸に抱きしめて。
歌を作り、レコードを作る。自分は狂っていない、狂っているのは世界の方なのだ。歌を作る事はその証明なのだ。
これでオレはクソみたいな現実の向こう側に到達出来るんじゃないか? そんな淡い期待が頭をよぎる。彼の歌を熱狂的に支持する多くのファンを得て、彼の確信はよりいっそう強まる。狂っているのは世界の方なんだと。
Nevermindという大成功 だがそこに涅槃は無かった
そうしてKurt達はNevermindというアルバムを作り上げ大成功を収めた。これは自分が狂っていないという証明なんだ。音楽の力でこの狂気の世界をついに乗り超えたんだ。そう思える瞬間になるはずだった。ところが、、、、。
Nirvanaの成功で彼が目にしたのは、夢見た涅槃じゃなかった。彼は狂っていなかったという証明にはならなかった。そこでKurtが目にしたのは、人気の商品を沢山売り、如何に多くの金を回収するかという、これまでと変わらないクソの世界だった。
Kurtがこれまで努力してたどり着いた先は涅槃どころか、音楽産業というより酷い世界が広がっていた。売れるものはちやほやされ、金になるのなら血の一滴までも絞り取られる世界がそこにあった。そんなクソみたいな世界。それが当たり前とされる世界。
そこは以前よりもなおいっそう狂った世界だった。狂った世界を抜け出したはずが、より狂った世界に足を踏み入れたのだ。
そこに涅槃があれば、この世界が狂っていたという証明になる。だがKurtが夢見ていた涅槃は、たどり着いてみれば地獄だったのだ。いやこれが現実なのだ。どこに行ったって世界は変わらないのだ。という事は狂っているのは自分の方なのか、、、やはり。
奇しくもアルバムタイトルはNevermindだった。世界が狂っているって? そんな事は無いよ、これが正常な世界なんだ。そんな事、気にするなよKurt。Nevermindとは、狂気の世界の住人から投げ掛けられたKurtへの慰めの言葉だった。
オレが目ざしたのは、こんな世界のはずじゃなかった。落胆するKurtに、業界関係者が彼にかけた言葉がNevermindだったのだ。
社会が狂っているのか? それとも狂っているのはあたしの方なのか?
Nevermind。なんとも意味深い、そしてKurtの絶望に呼応した言葉だ。彼らは本当の絶望を見る前に、無意識にこんな言葉を、アルバムタイトルとして選んでしまった。まるで後の悲劇を予見したかのように。
好きじゃなかったNevermindというアルバム
実はあたしはNevermindは好きなアルバムじゃなかった。Nirvanaはインディーズ時代のものの方がずっと良いと思っていた。音が重くてハードでカッコよいのだ。
Nirvanaが作り出したのは、パンクとハードロックの融合した音だった。1960年代後半にうまれたうちら世代は、生まれた時からパンクもハードロックもそこに存在して、こまかいジャンルなんか気にしないで子どもの頃から聞いていたのだ。必然的にこの2つの要素が組み合わさった。グランジはまさにあたしたちの世代が生み出した音なのだ。
これがロックの最後の進化だとあたしは思っている。グランジ以降は、延々と過去のリバイバルが繰り返されるだけになった。ロックなんか犬が食えだ。大槻ケンジの言う通りだと思う。
それはともかく、ある日突然上記のような、Kurtの絶望に思いいたった。狂った世界から抜け出そうとして、たどり着いたのは、以前と何も変わらない狂った世界だった。これがkurtの絶望だったという思いが頭に浮かんできたのだ。もちろんこの説はあたしの妄想だ。
だがこの事に気がついてから、Nevermindを聞くと、このアルバムの良さが初めてしみじみと判るようになった。初めて聞いてから30年近い時間が経過してようやっとこのアルバムが良いと思えるようになった。
このアルバムにはKurtの希望と絶望が色濃く刻まれている。希望が裏切られ、そんな自分に、自分で投げかける慰めの言葉がNevermind。理想を追求してたどり着いた先は、やはりクソの世界だったという虚無がこのアルバムに込められている。
同じ社会不適応者としてKurtに何か言葉をかけてあげるのなら、「希望は絶望なんだ。希望なんか持つから絶望するんだ。」と言ってあげたい。
Nevermind。希望を失なった者にかける言葉として、これ以上残酷な言葉はないだろう。だがNirvanaはあえてこの言葉をメジャーデビューアルバムのタイトルに選んでしまったのだ。