僕達は不幸せじゃない! 辛い時、悲しい時、そして幸せな時に見る映画「マイライフ・アズ・ア・ドッグ-My life as a dog」

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心休まる、心温まる映画を見て、この不安を和らげる


連日コロナ、コロナで、世界中に住むものは誰もが不安の中で暮らしていると思う。報道、TVを見ても不安がどんどん大きくなるだけだ。感染症対策に大事な事は免疫を上げる事。だが不安に思ってばかりじゃ免疫なんか上がる訳が無い。


こんな時だからこそ、ホノボノとした、愛と夢と希望と、そしてちょっと切なさがスパイスに効いている映画を見て、心の緊張を解き平安な気持ちを思い出して欲しいと思うのだ。

オレが悲しい時、辛い時、それだけじゃなくとても楽しい気持ちの時にも見たくなる映画がある。それがこの「マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ」だ。監督はラッセ・ハルストレム。「僕のワンダフルライフ」や「僕のワンダフルジャーニ」の監督と言えば判る人も多いと思う。そうだ「Hachi 約束の犬」も彼の作品だ。

そんなラッセ・ハルストレムが1985年に公開したのが「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」。日本では1988年に公開されている。

スウェーデンの片田舎に独り送られた少年イングマルの体験


映画の舞台は1950年代のスウェーデンの田舎町だ。主人公のイングマル少年はお調子者で、おっちょこちょい。いつも失敗ばかりしている。本当は病気の母親を楽しませたいと思っているのだ。

だけどもそんな彼の存在は母親の病気治療に差し障りがあると云う事で、夏休みは田舎の叔父の家に預けられる事になってしまう。物語は彼がその村で体験した奇妙な人達、おかしな出来事の数々が淡々と綴られてゆく。

彼がその村で出会った事は、緑色の髪をした少年、男の子の振りをする少女、村1番のグラマー美女の裸で芸術作品を作りたい偏屈芸術家、側に誰もいない時にイングマルに女性下着のカタログを読み上げてもらって喜ぶ寝たきりの爺さん。そんな愉快な村の人達の数々。そんな村でイングマルは、夏休みをのびのびと過ごす。心残りは病気の母親と犬のシッカンだけだ。

夏休みが終り実家にもどるイングマル。だが母親の病気はますます悪くなる。そして母親を失った彼は再び田舎町の叔父の家に引き取られる。実父は外洋に漁に行ったきりずーっと不在だ(いや家族を捨てたのだ)。兄とも、犬とも別れて、再び独り田舎町に送られるイングマル。

僕は決して不幸じゃない。あの宇宙に送られた犬に比べたら

パンと犬
とうちゃんはパンを独り占めしたけど、それでも私は不幸じゃない

イングマル少年のに身に起きたそうした出来事は、幼い子どもにはとてつもなく大きな出来事ばかりだ。こうしてあらすじを追ってみると、不幸続きの、とても悲しい映画のように思えるだろう。

ところがこのイングマル少年はそんな境遇にもかかわらず、けっして自分の不運を嘆き、悲しむ事はせず、目一杯やりたいこと、日々の生活に楽しみを見つける天与の才能にあふれている。数々のやらかし、村で出合った不思議な人々、少年少女たちとの楽しいやりとりが映像に溢れている。それは誰もが持つ過去の少年の日々の輝ける思い出の数々だ。この映画を見るものは皆こうした描写の数々に、自分の少年、少女時代を投影させて懐かしむだろう。

イングマルは悲しいことが起きると決まって、スプートニク号に載せられたライカ犬に思いを寄せる。独りぼっちで身動き出来ない狭い宇宙船に乗せられ、宇宙空間に放り込まれたライカ犬。彼女に比べたら僕なんかちっとも不幸じゃないと自分を慰める。日々のやらかしの裏に、そうやって自分を励まし、自分は不幸じゃないんだと、自分を勇気づけている姿に、ほろりと泪を落としてしまう。暗い寒々とした星空の何処かに、独り永遠に地球を回り続けるライカ犬にくらべたら、僕は幸せなんだ、と。

イングマルは悲しい出来事があると、ライカ犬の事を思いやる。オレはとても悲しい事があればこの映画を見たくなる。この映画を見終わった時に、とても暖かな気持ちになっているオレがいる。人生は生きるに値するんだ。悲しい時ばかりじゃなく、もちろん楽しい時に見れば、より幸せな気持ちになるという、これは希有な映画だ。

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マイライフ・アズ・ア・ドッグを知るきっかけ

オレがこの作品の事を知ったのは、雑誌宝島の三留まゆみさんの映画評論エッセイだった。あのエッセーがなければ、こんな大手の配給には乗らないマイナー映画には出くわさなかったろう。彼女の文章から伝わる氣は、なんとしてもこの映画は見なくてはならないと云う思いにさせた。引き寄せられたんだと思う。映画がオレを選んだんだと思っている。

その頃のオレは東京へ出てきて2年以上経ったころだ。都会の生活にもずいぶん適応してきていた。だけども、なにかその生活に馴染めなく、1人で鬱々としていた頃だった。映画を見終わった後、少しだけこの街で、もうちょっと上手に生きて行けるんじゃないかなと、そんな気持ちになったのを覚えている。泪を流しているのに、笑顔になってしまうのがこの映画だ。

悲しみを悲しく描いたから、その悲しみが伝わる訳では無いのだ。悲しく描かないからこそ、イングマルのその悲しみがより深く心に伝わって共感を生むんだ。監督の狙いはとても繊細で確かだと思う。

こんな時代だからこそ「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」を見て、心に暖かい灯のともしびを絶やさずに居て欲しいと思うのだ。決してオレ達は不幸なんかじゃない、と。この映画は一生の間に一つ会えるか会えないかと云う、宝石のような映画なのだ。

PS:もうすぐ数十回目の4月14日がやって来る。宇宙に送られ、そして燃え尽きて流れ星になったライカ犬の事も忘れないで欲しいと思う。

■ライカが流れ星になった4月14日


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