27年目の4月5日 カート・コバーン kurt Cobainは今もひとけの無い林で震えている
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カート・コバーンの死から27年目の4月5日
今年も4月5日が過ぎ去った。あの日から27年経ってしまったわけだ。27歳の青年が命を絶って、今年で27年目。彼はオレと同い年なので、オレは彼の人生2回分を生きたことになる。彼とはKurt Cobainの事だ。
同い年の陰鬱なロックミュージシャンが自殺したというのは、同じ時代を生きて、同じように陰鬱な青年だったオレにとって、ものすごく衝撃的な出来事だった。どちらかといえばNirvanaはオレの興味じゃないバンドだった。アメリカのロックバンドと云うこともある。グランジなんてクソみたいなムーブメントも、オレは毛嫌いしていた。だけども、そんなオレの思い込みは、彼の死で消し飛んだ。変な言い方だが、彼が自殺したことで、彼が何を表現したかったかようやっと理解出来たと思ったのだ。
Kurt Cobainの死が報道された時
「ジョン・F・ケネディーが暗殺されたとき、自分が何処に居て何をしていたか、多くの人は詳細に覚えていると」書いたのは、フレデリック・フォーサイスだった。これはオデッサ・ファイルという小説の冒頭部分の話だ。この小説の主人公はケネディー大統領暗殺のニューズを聞いて、思わず車を止める。その時たまたま見かけた救急車に興味を惹かれ付いて行った事から、地下に潜ったナチスの秘密組織を暴くことになるという小説だ。
ちょと大げさだけども、オレもKurt Cobainが自殺したという、第一報を聞いたときのことは鮮明に覚えている。
1994年4月9日。その日は土曜日。会社は週休2日なので、その日はいつものように特に用事もなく、何処に行くことも無く、家にこもり一日を過ごしていた。Jリーグの中継が終わり、ぼんやりと夕方のニューズ番組を見ていた。どうでも良いニューズに混じって、アナウンサーはこう言った。
「アメリカの人気ロックバンド・NirvanaのKurt Cobainさんが自宅で死んでいるのが発見されました。地元警察は自殺とみられると発表しています。」と。
時刻は夕方の5時過ぎ。日は傾きかけ、窓の外から部屋に差す光は、オレンジ色に偏向していた。そんなオレンジ色に染まったTVの画面に、ペッタリ頭髪が頭蓋に張り付いた髪型の、丸顔のアナウンサーが喋っている。彼は間違いなくKurt Cobainが死んだと伝えていた。
今でもその時の情景は頭にありありと浮かんでくる。Nirvanaは当時のロックファンの間では話題になっていたといえ、まだビッグネームでも何でも無い。そんなバンドのフロントマンが自殺したことが、そんなニューズ速報で流れるなんて事があるのか? 何かの嘘だろ? たちの悪い冗談だろう? というのがオレの頭に浮かんだ最初の考えだった。
いつものどうでも良いニューズのネタに挟まれた、異質なメッセージ。オレはその短いニューズ速報を目にし、耳にし、暫く動くことができなくなってしまった。
そんな事嘘だろ? オレはその後もいくつものニューズ番組を見続ける。Kurtが死んだなんて何かの間違いだろう? と言うことを確認するために。だが、どのニューズ番組もKurt Cobainの死についての報道は何一つなかった。
翌朝スポーツ新聞でKurtの死を確認する
翌日朝、オレはアパートの近所にある図書館に出向く。各紙の朝刊にKurtの死についてなにか記事が出ていないかと思ったのだ。大手の新聞にはKurtの死については何も記事がなかった。
Kurtが自殺するなんて嘘だろ? 昨日の夕方オレは何か間違ったものを見たに違いない。いやオレは狂ってしまったんじゃないかな? そのことを確認するために紙面を隈無く探す。
すると、とあるスポーツ新聞に小さな記事が出ていた。「Kurt Cobain自殺体で発見される」と。どうやらオレは狂ってはいなかったようだ。間違いなくKurt Cobainはもうこの世にはいないんだな、とオレはその紙面を食い入るように見つめた。Kurt Cobainはもうこの世にはいない。
Nivranaはその時点では特に好きなバンドでは無かった。だが、Kurtの死は、同い年の27歳の男の死は、オレに重くのし掛かってきた。それがオレが始めて死と云うものを身近に感じた時だと思う。
Nirnava MTV Unpluged live
独りでアパートにいるのが虚しくなり、人で賑わう高円寺へ出掛ける。その当時住んでいたアパートから高円寺までは、自転車で10分ほどだ。その頃の日曜日の過ごし方はお茶の水に出向くか、特に目的も無く高円寺を散策することが多かった。
高円寺に着くと、アコースティックギターでCome as you areを歌っているKurtの声が聞こえてきた。その音は海賊版を扱っている洋楽専門ビデオ店から流れてきた。店の外に向けたモニターには、カーディガンを着たKurtがギターを弾きながら歌っている姿が映っている。それはMTVのUnplugedにNirvanaが出演した時のビデオだった。
1994年の当時、まだこのNirvanaのUnglugedは、ビデオ製品としては発売されていなかった。さすが海賊版専門店だ。Kurt Cobainの死が報じられると、すぐさまそのUnplugedのライブビデオを猛プッシュしていた。オレは物の見事にキャッチされてしまったわけだ。
店のドアには、「Nirvana MTV Unplugged Live緊急入荷!」とポップが張ってあった。機を見るに敏とはこのことだ。さすが商売人は抜かりないなぁ、と変に感心しながらお店に入る。お店の中で暫くそのビデオをぼーっと見続ける。お店から出る時には、オレの手にはMTV Unplugedの海賊版ビデオが握られていた。
NirvanaのUnplugedライブについては、こんなブログ記事を読む人には説明不要だろう。細かいことは書かない。あのLiveで見せるNirvanaは、グランジのイメージとはかけ離れた、とても落ちついてリラックスした演奏を披露している。花いっぱいのスタジオは、まるで葬式や誰かの追悼を行っているようだと、オレは思った。
Kurtを始め、バンドメンバーは終始のんびりと、緊張感も無くNirvanaの演奏が最後まで続く。だが最後の曲「Where did you sleep last night」だけは、少し様子が違っていた。歌の最後のフレーズを歌い上げるKurtの、目をむき出して歌う姿に何か言い知れぬ何かを感じた。あのライブには、なにか空虚な空気が流れている。それを象徴するのが最後の曲だ。
youtubeへのリンク:Where did you sleep last night? / Nirvana
その空虚とは何か? あこがれてロックバンドをやってみたものの、結局は誰かの金もうけの為の売れる商品にしかなれない絶望だろうか? 何とかクルーとか、くだらないおもちゃみたいなロックバンドもどきに反発した者たちが作り上げたグランジムーブメント。
だが実際に起きた事は、結局は自分たちが、そうした唾棄すべきと否定したバンドみたいな存在に成り下がってしまったのだ。グランジだなんてもてはやされて。80年代はぴったりした皮のパンツを履いたロックバンドが流行ったが、90年代は穴の開いたボロボロのファッションに身を包んだロックバンドが流行っただけに過ぎない。
そういうショウビズの世界に取り込まれ、抜け出せなくなってしまった不自由さ。インチキを糾弾していたはずの自分が、そんなインチキに加担してしまった悲しみ。そうしたものへの決別の儀式が、NirvanaのあのMTVライブに思えて仕方がない。
最後にアップで映し出されるKurtのあの顔の表情は、そんな業界に騙され、こんなはずじゃなかったと、誰もいない森の中で独り一晩中震えているKurtの姿そのものなんじゃないかとオレは思う。
あの日から27年。何も変わっていない。次々と新しい才能が現われては、使い捨てされてゆく。
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