野狐禅から竹原ピストルへ −輝け!オレ達の鈍色の青春
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2020年3月20日 竹原ピストル、網走市民会館大ホールで語り弾きライブ
何年か前の年末に、ちょっと驚いた事があった。竹原ピストルが紅白歌合戦で歌っていた。竹原ピストルの名をよく見かける様になったとは思っていたものの、まさかこんなに売れていたとはね。あの竹原ピストルが売れる時が来るなんて。
2020年の3月20日、竹原ピストルは網走の市民会館で語り弾きライブを行う。これは全国ホールツアーの一つだそうだ。オレの手元に1枚、そのチケットがある。始めそのコンサートの告知を見た時には目を疑った。「え! 竹原ピストルが網走市民会館でコンサート? 網走市民活動センターの間違いじゃないの?」。網走市市民活動センターとは市の施設で、いろいろな団体の活動をサポートする小さなビルだ。入った事は無いが、20人程度の会議室はあるだろう。
いや違う、やはり会場は網走市民会館大ホールと間違いなく書いてある。網走市民会館は商店街の中心からちょっと外れた場所に有る公民館で、収容人数1000名の大ホールがある。大勢の動員が予想されるコンサートでしか使われない場所だ。大会議室じゃなく、大ホール。竹原ピストルが1000人規模のホールで、しかも語り弾きライブを行うと云う。野狐禅時代の彼の活動を知るものとしては、これはかなりの驚きだ。いや彼は今や紅白歌手なのだ。
網走市民会館で驚いちゃいけない。国立代々木競技場 第一体育館、大坂城ホールでも語り弾きライブを行う。
2004年 野狐禅 北見のライブハウス「オニオンホール」
竹原ピストルは以前、野狐禅というバンドで活動していた。オレはたまたま彼らのライブを1度だけ経験した事がある。
2004年の10月19日。場所は北見市郊外のオニオンホールと云う名のライブハウス。このオニオンホールというのは、もともとは玉ねぎの倉庫として使われていた小屋だ。250人ほど人が入れば満員になる小さなライブハウスだ。
その日は野狐禅なんて聞きなれないバンドを目的に、オニオンホールに行ったのではなかった。オレが聞きたかったのは、対バン(どうもこの言い方は嫌いだ。昔で言う前座だよな)の早川義夫の歌だった。早川さんが、こんな辺境の地オホーツクまで来る事は無いと思っていただけに、とてもワクワクして会場に足を運んだ。
会場に入るなりオレは驚いた。ライブハウスなのに、貧相なパイプイスが並べてある。しかもかなりまばらに。その数、全部で20客ほど。これはどういう事なんだ? でも、事情はすぐに分かった。野狐禅、早川義夫なんて組み合わせじゃ、チケットなんか誰も買わないのだ。この文化不毛の地・オホーツクじゃ。
さあ開演時間が来た。入場客はどう多く見積もっても、っていうか一人一人数えられるほどしかいない。狭い会場が広く感じられるほどだ。たった15名程度の観客だ。客層はかなり若かった。たぶん20歳前後だろう。そして女ばかり。野狐禅ていったいどんなバンドなんだ?
前座の早川義夫さん登場
まずは前座の早川さんがのっそりと出てきて、暗い歌を歌い続ける。曲を歌い終っても客は全くの無反応。無人のスタジオライブの様な様相だった。曲が終っても拍手が無い。そこでオレが一生懸命に拍手し出してから、他の客も連れて拍手をするようになった。
若い観客には、早川義夫さんの歌は苦行だったのだろう。だが早川さんの歌が、たった1人でも良いから、彼らの心に届けばいいのにとオレは思ったよ。早川さんが復活してこの時10年目。あの頃の狂騒はいったいどこへ行ってしまったのだろう。歌い続けると云うのは大変な事なのだ。
そして全く期待していなかった野狐禅の番
そして野狐禅の番がやってきた。早川さんがステージを去った後、手ぬぐいを被った、怖そうなローディーがステージに出てきた。ローディーと云うよりも、何処かの飯場で働いていそうなごっついあんちゃんだ。彼は上手にアコースティック・ギターをセッティングを始める。ステージ中央にはキーボードが1台すえられていて、こちらはいじめられっ子のような影の薄い兄ちゃんが調整をしている。非常にシンプルな楽器の構成だと云う事が分かる。ドラムはない。野狐禅はどうやら、フォークロックバンドらしい。
やがて、飯場のあんちゃんと、いじめられっ子は奥に引っ込んだ。やがて客電が消える。たいして広くもない会場を埋め尽くした、たった15人のスッカスカの観客。イスとイスの間は2m以上離れている。非常にゆとりの設営だ。その客席から一音一音がはっきりくっきりと聞き取れる、まばらな拍手が起こった。野狐禅なんかには全く期待なんかしていないが儀礼だ、オレも力の抜けた拍手を送る。
ステージ上手から、のそりと男が出てきた。そいつはさっきまでギターをいじっていた、飯場の兄ちゃんじゃないか! 彼はローディーじゃなく、本人だったのだ。手ぬぐいを頭に巻いたあんちゃんは、おもむろにギターを担ぎあげる。そして中央キーボードの後ろには、いじめられっ子みたいな彼が着席する。ついさっきまで楽器の設営をしていたのは野狐禅本人達だった。
そう野狐禅とは、飯場のアンちゃんに、いじめられっ子みたいな兄ちゃん2人組のフォークバンドだったのだ。オレの期待は、ますます盛り下っていった。そういや新宿のガード下で、こんな風なフォークデュオがよく演奏していたのを思い出す。自意識ばかり過剰で、中身の無い上滑りの歌詞ばかりの、掃いて捨ててもどんどん貯まってゆくようなフォークバンドを思い出す。
しかも彼らにはプロミュージシャンとしてのオーラが決定的に欠けているようにオレには見えた。これは、聞かないで帰った方が良かったかな……、そんな思いが頭によぎった。
ところが、飯場の兄ちゃんがギターをかき鳴らした瞬間から、会場の空気がはっきりと変わった。スカスカの会場を、まるで爆撃のような熱情が覆い尽くす。曲の出だしが始まった瞬間から、いきなり燃え上がったかのようなエネルギーが会場を包んだ。飯場の兄ちゃんが歌い出す。野太く、歌と云うよりも叫ぶと云う方がより適切な歌声。弦よ、指よ削れて無くなってしまえと言わんばかりに弾き鳴らすアコースティックギター。
これはもうフォークロックではなく、たまたまフォークギターで演奏しているパンクバンドに思えた。彼らの歌は何一つ迷いが無く、絶対に誰かに届くんだという確信に満ちて、堂々としていた。飯場の兄ちゃんは、不動明王のようになんのブレも無く、心の底から叫びを歌い上げていた。そのギターを弾く飯場の兄ちゃんが、竹原ピストルだった。
事前情報無しの、ついでに聞いたバンドの音に、これほどまでに打ちのめされてしまったのは初めての経験だった。月並みな表現だが、まさにオレはノックアウトされた。実際に竹原ピストルはアマチュアボクサだっただけに、この表現がぴったりだろう。ライブ終了後、オレは立ち上がれないくらいに、打ちのめされた。客よりも空間のほうが遥かに多いスカスカのライブハウスで、野狐禅は何一つ手をゆるめる事なく、一人一人の客を素手で殴り倒すかのように、音でノックアウトしていった。
今思い出しても、このライブは熱かった。この2人なら、客が一人も入っていなくても、満員の会場で演奏するように、熱演するだろう。この時は間違いなく、まばらな客席だったはず。なのに超満員のライブハウスで野狐禅を聞いていた様な錯覚を覚える。
鈍色の青春
竹原ピストルは歌う、青春なんか決してきらきらしたものなんかじゃないと。大抵の人にとって、青春と言う言葉から出てくるイメージはきらびやかなものだろう。だけども実は、多くの人はそんな青春なんか謳歌していない。
竹原ピストルが歌う青春は、惨めで情けないものだ。きらびやかな幻想の青春に縁のない、惨めな若者が見る鈍色の青春を、竹原ピストルは力を込めて歌う。そうなんだ! そんな惨めで情けない青春でも輝いているんだ、鈍色に。鈍色だって青春なんだ。それはオレ達、そして君たちの青春なんだ。胸を張ったっていいんだ、そんな鈍色の青春を。
惨めで情けない青春を送っている人は、自分の居場所なんかここには無いんだと溜息をついているんだろう。どこにも居場所が無いのなら、いっそ自分でその居場所を作ってしまえばいいんだ。それが野狐禅の音楽だった。竹原ピストルが歌うのは、他に居場所の無い者たちへの居場所、救いの場。鈍色に輝け!オレ達、お前たちの惨めったらしい青春!
野狐禅解散から10年
そんな野狐禅だったが、彼らの歌声はその頃の多くの人には届く事が無かったようだ。とても残念な事だ。彼らがブレークする日はついにやって来ず、2009年にあえなくバンドは解散してしまった。大阪の某脳無しタレントにべた褒めされたが、それがかえって徒となったのだろうか。貧乏神に取り憑かれたようなものだ。つくづく残念だ。
それから10年の時間が流れた。竹原ピストルはその後も歌い続けた。決してぶれる事なく、彼にしか歌えない歌を歌い続けた。年月が流れた分、ちょっとだけ歌詞はマイルドになり、取っつきにくさがちょっとだけ和らいだのだろう。野狐禅時代の売れ無さがまるで嘘のように、彼は日の当たる場所に立っていた。月日は飯場のあんちゃんを、ミュージシャンらしい面構えに変えて行った。
2004年に北見市で、たった15人の観客を前に熱唱した竹原ピストル。その彼が2020年に網走市で、1000人収容の市民会館で歌うようになってしまった。15人だろうが、1000人だろうが、竹原ピストルは同じように歌うんだろう。ありったけの熱情を込めて、ギターよ、指よ削れてしまえと音をかき鳴らすのだろう。
オレは今の彼の歌は殆ど知らない。また見ず知らずの竹原ピストルというミュージシャンに、打ちのめされる事が今から楽しみだ。
竹原ピストルの原点野狐禅。アルバム「鈍色の青春」こそ彼の原点だ。今こそ聞け!
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