まさに生き急いだパンクバンド、ラモーンズ
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C.J Ramoneがクリスマスシングルを発表
数少ないRamonesの生き残りC.J Rameneがクリスマスシングルを発売するという。なんとアナログシングルでも発売されるそうで、B面は、The KinksのFather Christmas(Father Christmasはイギリス英語でサンタクロースの事をさす)をカバーしている。嬉しいね。
彼がRamonesに入った時はまだ20代だったのに、今じゃ中年の親父になってしまった。彼はきっとRamonesの墓守をする為にメンバーに選ばれたんだと思う。
生き急いだRamones
Ramonesがこの世に存在したのは、1976年から1996年まで。20年間デビュー時と何も変わらず、ず〜〜っと同じ事をしていたのだ。それって凄いような、退屈なような。だから20年という区切りでバンド活動をやめたんだろうと思う。20年間もこんなことをやっていたんならもう十分だろうと。
そしてオレも今の仕事について20年が経過した。20年間毎日同じ事の繰返し。これから20年目の年末進行が始まるんだけど、こんなもの何の意味があるんだ? 馬鹿馬鹿しい。雀の涙程度の昇給と、零細企業だから社長以外ロクな役職も無いから、昇任もなし。名目上でも部長とでもつけば少しでも励みになるのだが、ずーっと平のまま。何も変わらない年月って、これって苦痛。そんな訳で、この仕事は3年後には終わりにしようと思っているのだ。
20年もずっとパンクバンドをやっているなんて、それはパンクロックじゃない。だからRamonesは活動停止したのだと思う。毎年毎年繰り返される、判で押したような毎日。レコード作って、販売促進して、ツアーで世界を回って。それってまるでサラリーマンじゃないか。ロックバンドをやったはずなのに、ジーンズで革のジャケットを着ている事が違うだけで、サラリーマンと何が違う? くだらないガンダムシリーズのようにだらだらと味気の無くなったガムに、又砂糖をまぶして噛み続けるような愚はまっぴらゴメンなのだ。Ramonesはパンクバンドだから、そんなサラリーマンのような生き方に決別したんだと思う。
Ramonesのアルバムはどれから聞けばいいか?
その答えはこのアルバム! 名盤といわれる1stなど、正直どれもこれも似た曲が30分続き単調で飽きてくるかも。このベストアルバムなら、バラエティーに富んでいて、彼らの楽曲を十分堪能出来る。しかも30曲入り。
ライブはまるで倍速再生のレコードの様だ
ラモーンズは何度も見に行ったバンドの1つだ。たった1時間弱のライブで、40曲以上の歌を演奏してさっさと帰ってしまう。ライブではどの曲もアルバムを早回ししたような、すごい速いテンポで演奏していた。
曲の演奏だけでは無く、きっと彼ら自身も普通の人よりも早回しで生きてきたんだと思う。ビデオの1.5倍速再生のような人生、それがRamonesであると言う事。
だから主要メンバーは50歳前後で死んでしまった。まさにThe WhoのMy Generationを実際に生きてしまったような彼らだ。当のThe Whoはこんなにも長生きしていると云うのに(2人若死にしてしまったが)。
オレが始めてRamonesを見たのは1988年の中野サンプラザ公演。これは彼らの2度目の来日だった。ステージ両脇に50cm程の高さの階段付き台がしつらえているだけの非常にシンプルなステージだった。演奏どうよう、非常にそっけのないステージ。演奏が始まると、ギターのJohnnyとベースのDeeDeeが時々思い出したように、交互にその台に上がるだけのステージング。ギターソロもなく、ただひたすら高速に曲を演奏するだけのそのステージは、まさに衝撃的だった。サービス、商売っ気の全くない、味だけで勝負する食堂のようなそのライブ。MCはThank you以外何を喋ったろう?
ボーカルが世銀の総裁候補を噂されたような何処かの偽善バンドの様な派手な仕掛けや演出なんかかけらも無い、潔過ぎるラモーンズのそのステージ。これぞパンク。これぞロックバンドだと思う。見せかけだけの反体制こそ、もっともロックに遠いものだ。だからうさん臭い平和も、愛もラモーンズは歌わない。
C.J. Ramoneが加入して若返りを計る
その後バンドからDDが脱退して、代わりにCJが加入した。メンバー交代後すぐに1990年に再来日。CJは他のメンバーよりも、10数歳若い、まだ20代前半のあんちゃんだった。オリジナルメンバーのDDも良かったが、若いメンバーを入れたラモーンズは以前よりも更にエネルギーが高まり、より高速、激しくなったような気がした。
このときのライブ会場は、脅威のクラブチッタ。Ramonesのライブはやはり、ライブハウスに限るですよ。ステージ最前列はモッシュアップやらダイビングやら、もう大混乱。横倒しになったガタイの良い兄ちゃんが、人の頭上を滑るように流れて行く。気をつけないと、人がステージから飛び込んでくる。メガネなんかしていたら、10秒で何処かに行き、二度と元の姿では手元にはもどってこない。そんなすさまじいステージで、忘れられない楽しいライブだった。
翌1991年にもまた来日して、この時はMZA有明でライブを行う予定が、小屋が倒産してしまった。そんな事で、なんと浅草の常磐座で代替公演が行われた。この会場は落語で知られる会館だけに、場内提灯やら超和風の装飾で満載。前座に売れてない漫才師が出てきそうな雰囲気だったが、代わりにつまらない日本のパンクバンドが出てきたと思う。その時のオレの席は2階の畳敷きの桟敷席。スタンディングはご遠慮下さいだったはず。座ってRamones。こんなパンクのライブは始めてだった。
その後も彼らは1995年まで毎年来日した。その度に懲りもせず、オレは会場に足を運んだのであった。来る度来る度、特に代わり映えのない、判で押したようなライブだった。だがそれが安心だった。
象とネズミの心臓が一生に打つ鼓動の回数は一緒だと言う。だが象は長生きだが、ネズミはわずか数年の命しかない。ラモーンズは若くして死んでいったが、彼らの早回しのような生き方から考えたなら、70歳までのんびりと生きた人と同じだけの濃度はあったんだろうと思う。
ラモーンズはネズミなんだ。奇しくもブルーハーツがドブネズミみたいになりたいと歌っていたが、正にラモーンズはドブネズミの様に生き急いだんだと思う。
1996年に「引退」を表明して、バンド解散
彼らの活動期間中には活動停止も無く、そして解散後に再結成なんて事もなく、主要メンバーはRamonesで始まりRamonesで終った彼らの人生(Dee DeeはD.D.King名でソロ活動していたな)。年老いる前に死んでしまいたい、正にその言葉の通りバンド使命を終えたRamones。彼らこそ真のパンクロッカーだとオレは思う。
★DeeDee Ramone 2002年6月5日、ヘロインのオーバードーズにて死亡49歳
★Johnry Ramone 2004年9月15日、前立腺ガンで死亡。55歳
★Tommy Ramene 2014年7月11日、胆管ガンにて死亡。62歳。(Tommyは初代ドラマーで、1978年に脱退)
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これはオレが大学生当時の出来事。今は保守派の言論人、評論家として知られる藤井厳喜氏は、30年前に明治大学の外書講読の講師をしておられた。その藤井先生に授業後オレは、「Gabba Gabba Heyって言葉の意味が解らないのですが、これはどういう意味でしょうか?」 と、とっても馬鹿な質問をした。藤井先生はとても困った顔をして「それは何かの掛け声だと思うよ」と答えてくれた。藤井先生の顔を何かで見る度に「Gabba Gabba Hey」が頭にこだまする。
今思い出しても、穴が有ったら入りたい思い出だ。
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