キンクスのプラスチックマン 明るく軽快に中身のない人間をこき下ろすRay Davies
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低迷期のThe Kinksのシングル曲Plastic man
Plastic manはThe Kinksが1969年3月に発表したシングルレコード。The BeatlesやThe who等は、相変わらず次々とヒット曲を出す中、The Kinksはというとヒットチャートからどんどん遠ざかっていった時期だった。ヒット曲に渇望していたのだろう、何とこの曲イギリスでは録音後数日で発売されたんだそうだ。
ところが残念な事にというかやっぱりというか、このシングルも見事に失敗する。U.K.チャートでは31位どまり、アメリカでは発売すらされなかった。悪い時期には悪い事が起きるもので、この曲の歌詞の中のbum(ケツ)と言う単語が、BBCのお気に召さなかったようで放送禁止にされてしまった。十分なプロモーションがなければ、そりゃあ売れないわな。同じ年に出したアルバムVillage Green Preservation Societyも商業的に失敗に終り、この頃のThe Kinksは商売としては散々な日々を過ごす事になる。←実際に見たように書いているけど、この当時オレは2歳。スゴイ早熟のファン。←嘘。アルバムに封入されている解説の情報による
Plastic man録音後、Pete Quaifeが脱退
そして残念な事にPlastic manが、オリジナルThe Kinksとしての最後の録音になってしまった。この曲をリリース後の1969年4月、美男子ベーシストPete Quaifeが脱退してしまう。「もうお子様向けの音楽を演奏するのはうんざりだ」の言葉を残して。きっとRayとDaveのバンドの主導権をめぐる戦いにもうんざりしたのだろうと思う。
彼の存在はThe Kinksにとても大きなものがあった。この当時のバンドの中でThe Kinksは音のデカイバンドとして知られていたそうだ。
中でもPeteのベースは音のでかさのみならず、The Kinksの曲をとてもドライブさせていた。それだけに音楽的にも、そして見た目に的もThe Kinksにとってかなりのイメージダウンだった。Sir Ray Daviesの著書X-Rayの中でも、「この時The Kinksは終ったんだ」と語っている。商業的にも苦しい時期だっただけに、The Kinksの苦悩は続く。
軽快に、ノリノリで、時代に取り残されるThe Kinks
さてこのPlastic manは、初期のDadicated follower of fashonを彷彿させるような軽快な曲調と歌詞で、ヒットを渇望していたのが良くわかる。メロディーも良いし、演奏のノリもすごく良かったんだけども、チャート的には失敗してしまう。
この曲の失敗の原因は、何と云っても時代が悪かったのかRayがあまりにも内省的な歌に没頭したせいなのか。1969年と云えばまだまだサイケデリックロックが幅を利かせている時代だった。またKing Crimsonが衝撃の音でデビューしたり、どのロックバンドもより刺激的で、新しい音を模索していた時代だ。そんな時代にThe Kinksはっていうと、のんびりとしたカントリー調の、こんな能天気で軽快な曲なんかリリースしちゃったりする。時代に追いつく氣全く無しのRay Davies様。ヒット曲を狙ったと云うのに….。まあ、それがThe Kinksらしかったりするのだが。
↓Youtubeで見られるこの頃のThe Kinksの映像。1969年4月のビートクラブでのThe Kinksの口パク。ベースがJohn Daltonに代わっている。
Plastic manの歌詞は辛辣 Ray Daviesの才能が冴え渡る!
そんな時代のこんな曲なんだけども、だけども歌われている歌詞は辛辣に時代を、人を風刺している。それこそ、音だけ流行りサウンドで、中身が空っぽの他のバンドとは違って、Ray Daviesの作る歌詞にはとても深い意味が込められている。空虚な浮ついた言葉だけのLove &Peaceで、脳みそ空っぽの、脳みそ無しの聴衆には理解されないというのは、容易に理解できる。まさにPlastic manが蔓延る社会なのだ。そんなPlastic manには、派手な音の中身のスッカラカンのPlastic musicがお似合いだってわけだよ。
Ray Daviesはこの曲で、つまらない、流行りモノにすぐ飛びつき、CMの云われるままに商品を買ってしまう、そんな世間一般のどこにでもいる退屈な人達をplastic manと呼んで小馬鹿にしたんじゃないか、というのがオレの解釈。この歌は、そんな面白みのない人達に対する痛烈な批判なのだ。日本もこんな人間ばかりだ。たとえイギリスでも、大衆ってやつはどの国も同じなんだと云う事に氣付かさせられる。Ray Daviesのような、ひねくれ者、へそ曲がりにとってはそんなありきたりの人間が嫌で仕方がないのだろうと思う。
お前らみんな同じ顔しやがって、工場で作られたプラスチック製の人造人間かよ! それでも人間か? 脳みそがないから、自分で判断できないんだよ。だからみんな同じ事をしているんだ。そんな時代、社会に対する疑問の投げ掛けがここにはある。まるで蟻ん子みたいに、何奴も此奴も同じ顔をして見分けがつかない、同じ人間ばかり。街を行けば、そんなPlastic manばかりがうじゃうじゃと、お揃いのゴミみたいな商品を手に歩いている。
ArthurのボーナストラックにPlastic Manが入っています
Plastic manの矛先は、同業のミュージシャンにも向けられている
世間一般どころか、それはロック・ミュージックの世界だって同じだ。その当時のヒットチャートを見ると、どいつもこいつも流行りものサウンドを追いかけている奴らばかり。サイケデリックが流行れば、あいつもこいつもサイケアルバムを発表する。今度はニューロックかよ。こないだまでのサイケ面はどうしちゃったんだ、オイ!
この歌では、何でも流行りのサウンドばかりを追う、他のバンドをも皮肉ってもいるのだろうと思う。ドラッグをキメて、どのバンドも、おサイケな音のアルバムを作っていればロックミュージシャン様だ。時代の寵児だってわが世の春を謳歌している他の大多数のミュージシャン。
それを尻目に我がThe Kinksは何をしていたかというと、古き良き時代のイギリスを憧憬を込めて歌うフォークロックアルバムを作ってしまった。それが先に失敗したと書いたアルバムVillage Green Preservation Societyだ。サイケな時代に、昔懐かしのイギリスの田園風景、村の公共緑地を守ろう! 蒸気機関車への憧憬を歌う。そりゃあ、売れんわ。ところがそのアルバムはじわじわと長らく売れて、The Kinksはカルトバンドになって行く。
プラスチックマンは、プラスチック羊の夢を見るのか?
この記事でかなり強引で、飛躍した論を展開してしまった。Plastic Manは、まるで工業製品のような型で作ったようなありふれた人間に対する嫌みだったのだが、時代はなんとその斜め上を行く事になってしまった。
マイクロプラスチックが環境中に溢れ、それを取り込んだ魚や動物、野菜を食べる俺達人間は、知らず知らずのうちに体にプラスチックが蓄積されて行く。プラスチックが体に蓄積する事で、今後いろいろな障害が発生するのは容易に想像出来る。プラスチックには毒性がある。肝臓等内蔵に対するダメージだけでなく、内分泌かく乱物質として、精神にも脳にもいろいろな悪影響がこれから出てくるだろう。いやもう出ている。嫌というほど。氣づいていないだけだ。
はは、Ray様が歌うように、プラスチック人間は脳無してわけだ。知能の低下だけじゃなく、異常な犯罪が増えているのも、プラスチックがその原因のひとつだろう。まさか人間がマイクロプラスチックを取り込んで、Plastic manになってしまうなんてね。
Ray Daviesがこの歌を歌った50年前には、まさか人間が本当にPlastic Manになるなんて想像もしていなかったろう。オレ達の生活、身の回り、どれもこれもプラスチック製で溢れている。そして人間までプラスチックになってしまった。Ray Daviesの洞察力は、こんな未来まで見通しているのだw
Ape manになって、南の島に逃げ延びたとしても、そこにはもうすでにプラスチックゴミが押し寄せていた。
There’s no solution to it all, it’s out of control.
海洋のプラスチック汚染が想定以上に酷いレベル もう回収なんて不可能だろう
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