People get ready/Curtis Mayfield 人よ、この汽車に乗る資格はあるのか?
オレは20年ぐらい鶏を飼い続けているが、今は9歳の鶏1羽だけになってしまった。最盛期には40羽近く飼っていた事もある。最初の頃は、自分で鶏を殺して食べたりしていたが、やはり生きものを殺すって云うのはとても辛い作業だった。10年前から我が家の鶏を食べるのを一切止めてしまった。その後寿命でだんだんと死んで行き、今は一羽だけになってしまった。鶏は愛らしいペットで、食べ物じゃないんだ。(←偽善者)。
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People NOT get ready
霊感というんだろうか、何かがある日降りてくるときがある。数年前に共謀罪が可決され、多くの人が悲嘆し、怒りと戦いの炎をめらめらと燃やしていた日の事だ。
その日何故か、Curtis MayfieldのPeople get readyのメロディーが突如頭に浮かんできた。歌は、
「みんな、準備しろよ」
と歌いかけてくる。
じゃあ何の準備をすればいいんだ? その歌の深い意味が突然頭に伝わってきたのだ。
この歌はもちろん、戦いを準備しろなんて言っていない。平和を実現する為に悪と戦えなんて言っていない。平和の為であれ、悪と戦うという事は、自らも悪にならなければならないのだ。戦いの跡に残るものは破壊だけだ。
答えは戦いじゃないんだ!
今の日本は、未だに黴の生えた古くさい「右翼」と「左翼」が反目して、火花を散らせている。方や愛国、方や平和を標榜している。向いている方向は違えども、両者ともに同じ暴力主義者なのだ。どちらも醜く顔を歪ませ、絶叫し、拳を振り上げる。動作だけを見ていれば、どちらが右翼でどちらが左翼なのか区別がつかない。共に仲良く戦いの炎をめらめらと燃え上がらせ、言う事は違えどもやっている事は同じなんだ。互いが互いを憎み合う、血に飢えたケダモノの似た者同士。
結局の所、左翼と右翼の両翼が、バタバタバランス良く羽ばたいて、戦争を指向している事に誰も気がついていない。答えは戦いじゃないんだ。
人間よ、より高次の存在になりなさい!
People get readyと云う歌は、人間の精神をもっと高めよ! と歌っている思うのだ。平和な世界へ行くために、知性を高め、そして人間の精神性を高めなさいと。汽車はもうそこに来ている。乗る資格のある者は、より高次の世界に行けるんだ。
平和を実現するために戦うって? それは戦争好きのしている事と何が違うんだ? 香港のデモ騒動を見て、あの映像に平和や愛を感じるかい? あれは剥き出しの暴力じゃないか。愛は何処にある?
だからと言って平和を求めるのに何をすればいいかはオレにはまだ答えが無い。だが平和な世界を実現するための手段として、戦いは間違いだと思っている。
口では平和を唱道しながら、暴力に満ち満ちた「リベラル・左翼」の連中なんて何処にでも居る。1例を挙げるなら、ヒラリー・クリントンの様な戦争屋を支持して反トランプ暴動を起すって、それって本当に平和を望んでいる人のする事なのか?
People get readyに歌われる汽車に乗るためには、荷物もチケットも不要だ。ただ必要なのは、神への感謝の心だけだ。この汽車には、罪人が座れる席は用意されていない。もう直ぐそこに汽車は来ているんだ。世界に平和が満ちる機会はもうそこまでに来ているんだ。だが、誰もそのことに気がついていない。ただ気がつけばいいだけなのに。平和を望んでいるはずの者は、目を血走らせ、拳を突き上げ、汚い言葉を敵に吐きかける。その姿は、そっくりそのまま彼らの敵とそっくりだ。まるで鏡に映る姿のようだ。
People get ready?
漠然とだけども、あの日オレはこんな事を思った。そしてPople get readyが頭に響いた。戦いの先に平和は無い。平和を得ようとしているのに、逆の事を行っている。
これはオレのPeople get readyの勝手な解釈だ。この歌は単純に神への愛を歌った歌かも知れない。
だけども具体的に何も描写していないだけに、1つの歌にいろいろな解釈ができる。そういうソウル・ミュージックの奥深さにとても惹かれる。
これまで旅立っていった我が家の鶏たちは、間違いなくその汽車の席が用意されているだろう。人間と違って鶏は何時でも準備ができているんだ。だけど、オレはその汽車に乗る資格があるのだろうか? ヨルダンに向けて出発する汽車に乗車が許されるのは、動物だけかもしれない。
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