半村良・ラヴェンダーの丘(1986) 小説を通じて家族に宛てた詫び状 

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ラヴェンダーの丘 半村良

ラヴェンダーの丘あらすじ

時代は昭和60年代中頃。北海道東部・知床半島の南側・羅臼町にある一漁村、真琴内に何か不穏な動きがあるという。そこは対岸を仰げば、直ぐ目の前にソビエトが支配する国後島が望める国境の街だ。そんな小さな漁村に、ソビエト、アメリカ、日本の思惑と注視が向けられている。いったいその小さな漁村に何が起きているのか?

大倉治郎。彼は欧亜商事札幌支店苫小牧出張所の所長だ。苫小牧出張所と云っても、仕事らしい仕事は何もない。暇つぶしこそが彼の唯一の仕事なのだ。今は苫小牧の閑職をあてがわれているが、かつて大倉は海外での石油取引にからみ、欧亜商事に莫大な利益をもたらした男なのだ。だがそのために彼は、表には出せない汚れ仕事も担っていた。彼が活躍したのは、CIAなどもからむ、銃器も必要なヤバイ世界だった。

そんな世界を引退し日本にもどってきた大倉を、欧亜商事は厄介払いする訳にも行かない。社内にも居場所がない事から、わざわざ北海道に事務所を設け、飼い殺しにされていたのだ。

そんな彼の下に、以前彼と接触のあった元CIAのエージェントから仕事の依頼が舞い込む。報酬は『どんな死に方をしても交通事故扱いする。見舞金は別居している妻と子供に支払われる』という内容だった。

すぐさま大倉の元には、昔の仕事仲間ジャンが駆けつけてきた。このヤバイ仕事の相棒だ。ジャンは東京でしこたま銃器をかき集め、車に満載して苫小牧にやって来たのだ。すると、そんな彼らの動きをすぐさま誰かが嗅ぎつけ、早速地元のヤクザが2人の前に立ちふさがる、、、、、。

真冬の凍てつく北海道を舞台に、大倉とジャン、そして銃器、弾薬を載せたランクルは、北海道の西・苫小牧から、東の外れの羅臼町を目指す。羅臼町真琴内に彼らを待つ出来事は何なのか? そして彼らは何を見る事になるのか?

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ラヴェンダーの丘 その背景

ラヴェンダーの丘 初版本

作品の冒頭部分をざーっとまとめてあらすじを作ってみた。これ以下の文章では遠慮なく内容、オチについて語っている。以下の文章を読まれる方は、その点を覚悟の上で読んでほしい。

ラヴェンダーの丘が出版されたのは、1986年4月25日。角川ノベル(新書)の書き下ろしとして出版された。その当時オレは自宅浪人中で、ろくに勉強もしないでこんな本を読みふけっていたわけだ。

もう30年も前に出版された作品なので、若い方にはかなり古さを感じるのは仕方のないことだろう。今は無き国鉄やソビエトなんて単語が出てくる。だがそんな事はとても些細な事だ。冒頭から半村さんの語り口、物語の展開にグイグイと引きずり込まれてゆく。

ラヴェンダーの丘なんていう、ちょっとロマンチックで、おセンチな題名とは裏腹にこの作品は、半村良さんが書いたとは思えないハードボイルド、エスピオナージ小説に仕上がっている。

この小説はSF要素は皆無だ。古代の不死の血が蘇ったり、不可侵の体を持ったポータラカ星人も、超能力で悪人を懲らしめるなんて事もない。判断力と、反射力、そして銃の腕前で目の前の危機をくぐり抜けてゆく男達が描かれている。そして国際政治のどろどろとした世界と、そのおこぼれに預かろうとする男達。

主人公の大倉に課せられた任務とは、アメリカの目の代わりとして真琴内の「処理」を見届ける事だ。その処理とは、ソビエトが羅臼の寒村に設けた拠点を、日本政府が間違いなく「消去」する事なのだ。

その任務の為に、大倉達2人は真冬の北海道を西から東へと車で横断する。たんまり銃器を持っているから、もちろん飛行機で移動するなんて事は不可能だ。だから大倉とジャンの2人はランクルで凍てつく大地を横断しなければならないのだ。

昭和の香り

国後島
これはホウェール・ウォッチングに参加した時に撮影した画像 羅臼からだと国後島が直ぐ目の前に見える

1980年代半ばと云えば、まだ冷戦のまっただ中で、オレのように道東に住む者にとっては、ソ連による漁船のだ捕、特攻船、そしてレポ船なんて言葉が普通にローカルニューズに登場していた時代だった。

特攻船とは、北方領土付近で密漁する際に使われた船の事で、船に何基ものガソリン高出力エンジンを搭載して(普通の漁船は重油)、高速でソ連が支配する海域で操業していた船の事だ。ソ連に見つかれば容赦なく銃撃される時代だった。まさに特攻船だ。この当時の根室はハイオクガソリンの売り上げが、日本一だった事もあるそうだ。

そしてこの物語に密接に関わるのがレポ船と呼ばれる漁船だ。ソビエト当局に日本の情報を売ったり、共産圏に輸出が禁止されている(いわゆるココム)電子機器などと引き換えに、ソ連の支配する海域で操業を黙認された漁業者の事を云う。いわゆるスパイ船の事だ。ラヴェンダーの丘でも、日本からソビエトへ電子国境監視装置に流用出来る電子機器の流出が問題になっている。

この物語は、そうした時代背景を元に、半村良さんお得意の現実に裂け目を入れて、話を大胆に大げさに拡大している。この小説世界ではレポ船どころか、羅臼の寒村にソビエトの連絡基地が造られ、スペッナズ(特殊部隊)まで駐屯している事にされているのだ。現実にはそんな事は不可能だろう。(いやひょっとしたら本当にあったのかも知れないが)

国境の街では意外なほど人の行き来が当時あったらしい。これはオレの従兄弟の本当話だ。彼はその当時羅臼の水産高校に通っていた。その当時の田舎の水産高校といえばツッパリ、ビーバップハイスクール状態だ。そして羅臼と云えば本当に国後島が直ぐ目の前にある町なのだ。

その当時の羅臼のヤンチャな高校生は、手漕ぎボートで国後島に上陸して帰ってくると云う事を行っていたそうだ。当時のツッパリ君達の肝試しだったんだろうと思う。下手をすれば銃撃だ。下手をしなくても国際問題になる。これぞ本当の肝試しというわけだ。

羅臼町から見える国後島の南側は実は殆ど人が住んでいない地域だ。なので、ろくに見張りも無かったのだろう。羅臼高校の生徒は国後島のそのあたりの海岸の様子にずいぶん詳しいものがいたと云う。これは余談だが。

羅臼の真琴内の取引には密漁組織だけでなく、ヤクザもからんでいる。そんなことから大倉たちの行く手に、数々の邪魔が入ってくる。最初は脅し程度だった邪魔が、そのうちドンドンとエスカレートしてゆく。その際の大倉たちのアクションもこの小説の見どころだ。

だが、ジャンは疑問に思う。以前の大倉なら慎重に事を運ぶはずなのに、まるで殺してくれと言わんばかりに、敵の前に己の姿を曝す。それは何故なのか? その答えが、このおセンチなラヴェンダーの丘と云う小説のタイトルに繋がってゆく。

1980年代半ば、半村良さんは北海道で執筆していた

ラベンダーの花
我が家のラヴェンダーの花です

この当時半村良さんは北海道の苫小牧を執筆の拠点にしていた。そんな事から何冊もの北海道を舞台にした作品を手がけている。これはその中の一冊だ。
 
大倉たちが苫小牧から出発して羅臼の真琴内にたどり着くまでの描写を読んでいると、30年前の北海道の情景が目に浮んでくる。その当時の北海道の冬道は、今と違い除雪は綺麗ではなかった。国道ですら5cm近く落差のある圧雪が作ったワダチ道が普通だった。そのワダチから外れれば、下手をすれば車がスピンしてしまうと云うのは半村さんの描写の通り。

そんなこともあり、この作品中の冬道の走行の描写は昔の凍結路を思い出し、なかなかスリル満点だった。夏道を120km/hで走るよりも、アイスバーンを40km/hで走る方が緊張感が高いのだ。現在は除雪、排雪が当時よりより徹底されている為かアイスバーンが出来ても、ワダチなんかほとんどお目にかかった事がない。

そして、地吹雪に関する半村さんの描写もとても事細かに、正確に現象を捉えている。北海道に住むものとしては数メートル先すら見えない吹雪きの道を走った時の恐怖や、不安が蘇ってくる。読んでいて本当に心臓がバクバクしてくるほどだ。半村さんの筆力は、頭に映像が浮かんでくるのだ。

まるでロードムービーのような小説 たどり着いた先は虚構の漁村

その当時のアイスバーンの自動車運転は命がけの面があった(今も危険は変わりないが)。北海道に生まれ育ったものには、大倉達の西進に従ってなじみの有る地名が次から次へと現れては後にして行く。なんだか実際に自分が旅行でもしているような気分になる。といってのんきな単なる紀行文ではなく、大倉の動きを嗅ぎつけたレポ船側の荒くれ漁民やヤクザが次々と襲いかかってくるのだ。

北海道を舞台にしながら、あっと驚くハードボイルド、アクション、ロード・ムービーならぬ、ロード小説がこのラヴェンダーの丘。こんなねじくれた作品を構想出来るのは、半村良さん以外には居ないだろうと思う。ありきたりの北海道を舞台にした小説には辟易した方にお勧めするよ。

今現在と違う部分も多くあるけれども、地図片手にこの小説を読み進めるのも、より臨場感がます方法だと思う。ただし最後にたどり着くのは、架空の漁村真駒内。

その真駒内はいったい何がモデルになっているのか、少し考えてみた。根室から羅臼に向かうと、峯浜という漁村を通り過ぎる(1刷りの表記では峰浜になっていた。わざと字を変えたのか、校閲のミスなのか謎。他にも海別岳(ウナベツダケ)にわざわざ(かいべつだけ)とルビがふっていた)。その隣が目的地の真琴内だ。もちろんそんな漁港は実際には無い。

自動車で実際にこの国道を通り、作品中の描写や地図などを見比べたオレの結論は、峯浜港こそ真琴内のモデルだと思う。細部はかなり異なるものの、大部分の特徴が一致するから、この峯浜港をモデルに真琴内を作り上げたんだろうとオレは推測する。

まあ何にしても、半村良さんお得意の、実際の地図に切れ目を入れて架空の街を作る手法がここにも発揮されている。こうやって現実に「嘘」を折り込んでゆくんだなと、オレは感心した。

半村良さんの心情を反映した作品「ラヴェンダーの丘」

ラベンダー

今回この記事を書く為に、3度目の読み直しをしていろいろ気がついた。この作品は他の半村さんの作品に比べて、きわめて冷たさを感じる。それは登場人物が冷たいのではなく、作品に込められた冷気とでも云うものだろうか。厳冬期の北海道を舞台にしているとはいえ、読んでいて冷たさを感じるのだ。

その冷たさとは半村さんの心が投影されているからじゃないだろうか。仕事の中心であった東京を離れ、何かに追われるように北海道に渡った半村良さん。家族を東京に残し、1人北海道に生活の場を移したのだ。

文中に時々描かれる家族を捨てた大倉の心情は、そのまま半村さんの心の描写じゃないだろうか。そのことに今になってやっと気がついた。

作品中には「東京に居る時もホテル住まいで、家族の元には年に数度しか帰らない。そして北海道に渡って3年目だ」と言うような何気ない描写があった。しかしこれはそのまま当時の半村良さんの行動そのままじゃないか。

北海道にずっと住み続けるつもりで移住した半村さんは、残念ながら3年で再び本州にもどる事になる。苫小牧の市長選にからむ政治に巻き込まれ、うんざりして北海道を後にしたというのだ。その後の10数年間、半村良さんは転居に次ぐ転居だった。

半村さんの執筆拠点はこのように移り変わったという。港区西麻布、港区六本木、杉並区高円寺、北海道苫小牧市、台東区浅草、豊島区目白、世田谷区松原、文京区大塚、栃木県鹿沼市、群馬県前橋市。そして最後にようやっと家族の元、東京都調布市に帰り着く。そのことを、父帰ると呼ばれたそうだ。

半村さんが転々としたのは、この大倉のように仕事の為の必然では無く、女がかかわっていたそうだ。女が変わるたびに、着物一丁で別の場所に移ったという。(Kawade夢ムック 半村良による)結局再び家族の元に戻ったのは、もう彼の命の炎が消えかけていた69歳だった。

ラヴェンダーの丘で描かれる大倉の思いは、そのまま半村さんの本心がにじみ出ているとしか思えないのだ。家族を捨てた負い目、いつか息子と和解して、ラベンダーの丘を歩いてみたいと云う夢。だがその夢は敗れ去ってしまったのだろうと思う。永住するつもりで渡ってきたものの、失望して北海道を後にする。きっと息子と富良野のラヴェンダー畑で再会するという思いは実現しなかったんだと思う。それもその後のさすらいの原因だったのではとオレは推測する。

実現しなかったラヴェンダー畑での再開。だからこそ小説を使って子供達に詫びていたのだ。この小説は単なる小説ではなく、小説を装った家族への弁明、詫び状なのだ。そんな訳で、こんなハードボイルドな内容の小説なのにも関わらず、ラヴェンダーの丘というセンチメンタルなタイトルがついてしまった。大倉の心情のモデルは半村さんその人なのだ。

家族を捨てて無頼の生活になってしまった。だがいつか息子たちと再会したい。そしてその事を詫びたいという思いがこの小説に込められている。それがこの小説に、なんともいえない冷たさ、悲しさを感じる理由なんだと思う。大倉の家族は妻に息子と娘だ。それは半村良さんの家族構成と全く同じなのだ。

「Kawade夢ムック 半村良」によって、各作品に込められた思いに気がつく

オレがこんなことに気がついたのは、「Kawade夢ムック 半村良」を読んだからだ。このムック本には単行本未収録のエッセイや、半村さんの事務所スタッフ等の回想が掲載されている。それらを読むことで、半村良さんの人となりや、行動などを知ることが出来た。

このムック本を読んだお陰で、ラヴェンダーの丘を再読した歳に、全く別の読後感が残ることになった。そしてラヴェンダーの丘という、なんともおセンチなタイトルには、捨て去った家族に対する哀訴の情が込められていたのだ。そして大倉という人生を捨て、家族を捨てた男こそ、半村良その人だった。

人生は苦しいものだ。どうして生きてゆくことはこんなにも辛いのだろう。そんな半村さんの思いが、この痛快エンターテイメント物語の中にひっそりと流れている。それがこの物語を読んで感じた冷たさなのかも知れない。その冷たさとは凍るような泪の冷たさなのだ。

あまりに半村さんらしく作風のためか、このラヴェンダーの丘という作品はそう評価されているようには思えない。多くの半村ファンの間でも、ほとんど無視されているような作品ではないだろうか。人情ものでも無い、SFでもない。どう位置づけていいか困惑しているんじゃないかと思う。

それもそのはず、この作品のテーマは家族に対する懺悔。特に何も父らしい事をしてあげられなかったであろう息子に対する思い。これは息子に父の行状を詫びるために書かれた、きわめて私的な作品がこのラヴェンダーの丘だとオレは思っている。

半村良さんの小説世界では異質なこの小説だが、彼の内面を考える上ではとても重要な作品だとオレは思う。

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