ロック呪術師 イギー・ポップ 1970で feel alright!
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元祖にして天上天下唯我独尊のパンクロッカー、イギー・ポップ
Fun House Stooges
パンクロッカーと云えば、たいがいの人はジョニー・ロットンとかシド・ヴィシャスが頭に浮かんでくるだろう。オレの場合は電光石火でイギー・ポップの姿が浮かんでくる。イギーこそパンクロッカーの中のパンクロッカーだと思うぞ。しかも彼はまだパンクロックなんて言葉がない時から、パンクロッカーだった。
イギー・ポップがロックの世界に出てきたのは1969年、ストゥージスとしてだ。ストゥージスは4人組のロックバンドで、あの当時としてもかなり過激な音のロックバンドだったと思う。歪みまくったギター、イギーの叫び、そして人を狂わせるような単調なリフの繰り返し。彼らのファーストアルバムには、余計なものをそぎ落とした、そしてとても荒々しい音が収められている。これぞまさにこれこそパンクロックだ。
そして「1970」
イギーはこれまでに多くの名曲を作ってきたけども、その中でも私がダントツに好きなのは、これぞ究極のパンクロック・ソングとオレが思っているのが「1970」だ。この曲はストゥージスの傑作セカンドアルバム「ファンハウス」に収録されている。
この曲、イントロが鳴り響いた瞬間に、理性が消し飛んでしまいそうになる。初めてこの曲を聴いたのはいつか覚えていないけれども、たぶん1989年の中野サンプラザのライブが初めてだと思う。イギーのソロとして来日した時の事だ。この時はイギーのソロアルバムとしては最高傑作だと思う「インスティンクト」発表時のツアーだった。
この時のライブはとにかくすさまじかったな。冒頭から全身の血が沸騰したかと思ったくらいだ。ホールのコンサートなのに、まるでライブハウスの最前列で、もみくちゃにされながら聴いている気分だった。その中でも最も強烈だったのが1970だった。
この時のライブのギタリストはアンディ・マッコイ、ドラムはサイケデリック・ファーズのポール・ガリスト、ベースはUKサブスのアルビン・ギブス、キーボードはマッドネスのシェーマン・ベーガンという豪華な面子だった。そんなニューウェーブ、パンクロック・オールスターズが演奏する1970はオリジナルよりも更にテンポが速く、強熱の演奏だった。この時のツアーの様子は、ファンクラブで配布されたらしいブートレグのライブ盤が出回っているので、興味を持った人は探して聞いて欲しいと思う。ほんとすごいライブだった。
1970は聞いて分かる通り、とても単調なリフの繰り返しで出来ている。とっても簡単と云う事もあり「アイ・ワナ・ビー・ユア・ドッグ」ともどものちのパンク・ロックバンドがこぞってでカバーしている。1970といえばダムドのカバーが有名だが、正直なところこのカバーじゃ盛り上がらない。何かが足りない。もちろんセックス・ピストルズがカバーしたアイ・ワナ・ビー・ユア・ドッグですらも何かが足りない。何かが足りないのだ。そうしたパンクバンドの演奏に無い何かが、イギーの演奏にはある。その何かとは何か?
21世紀にまさかのストゥージス再結成
21世紀に入ってイギーさんは突如ストゥージスを再結成させた。最初はよくあるノスタルジアでかつてのバンドメンバーと懐メロを演奏するだけのしょうもない再結成かな? と私は思っていた。が、どうも違っていた。
かつてのやばい兄ちゃん達は、その後30年近い時間が経ちどうなったかと云うと、ものすごくやばいオヤジになっていた。
このやばい兄ちゃん達が↓
Stooges Iggy Pop
ものすごくヤバイオヤジになっていた↓
Fire Life Stooges
その出で立ちはロッカーと云うよりも、なんだか歳不相応の社会不適合者だ。オレは嬉しくなったね。これぞ究極のパンクロッカー達だ。クサリだの革ジャンだの鋲だののアイテムに頼っているようじゃ、本物のパンクロッカーじゃないんだよ。みよこのストゥージスのメンバーの全身からにじみ出る、社会不適合感、そしてこの歳までまともな仕事をしていない感。これぞパンクロッカーだ。
この再結成時のストゥージスの1970も超強烈だった。いや最狂だろう。聞けば理性が消し飛び、全身の血が沸騰し、忘我の境地に達してしまうといってよい。
イギー・ポップは呪術師
ここまで1970を例に出して語ってきたが、イギー・ポップの曲の特徴をあげるならとにかく単調だという事。複雑な技巧なんか微塵もなく、単純なリフの繰り返しというのがほとんどだ。1969、1970、パセンジャー、アイ・ワナ・ビー・ユア・ドッグ、etcどの曲もすぐにコピーできる曲ばかりだ。
ギターを持ってコピーをしようとしたら、あまりにも簡単なので驚くだろう。カバーするのはとっても簡単だ。だが、だけども何かが足りない。イギー以外の人がイギーの曲を演奏すると、何かが足りないのだ。ダムド、セックス・ピストルズのカバーとオリジナルを聞き比べれば一目瞭然だ。
イギーが歌う楽曲に、その単純なリフに身を心をゆだねていると意識が飛び、忘我の境地に達する。実はイギーは歌を演奏しているんじゃなくて、何か神か聖霊の様なものに祈りを捧げているんじゃないかと私は思っている。イギーはシャーマンなんだよ。シャーマンといえばネイティブアメリカンや南米のいろんな部族が思い描かれるが、白人のシャーマンだっていたっておかしくないじゃないか。それがイギー・ポップだ。
以前南米のシャーマンの儀式のようなものに参加した事がある。単調な太鼓のリズムと祝詞。その単調なリズムに身をゆだねていると、だんだんと意識がトランス状態に導かれて行ったのを覚えている。その太鼓をドラム、そしてギターリフに置き換えたなら、イギーのやっている事は正にシャーマンじゃないか!
イギーにはネイティブアメリカン等の血が入っているのかどうかは知らないが、彼が行っているステージは正にシャーマンの呪術をロックでやっているような気がして仕方がない。
星空の下の平原、盛大に焚かれたたき火の周りを回る呪術を、ステージで再現する男、それがイギー・ポップ。これまでいろんなバンドの音を聞いてきたが、曲を聴いていてこんな気持ちになるのは、イギー・ポップとザ・ドアーズぐらいだ。
そういや映画「ドアーズ」でジム・モリスンにはインディアンの霊が取り憑いているという解釈が示されていたなぁ。イギーにもそんな聖霊が取り憑いていたとしても私は驚かない。
もうイギー・ポップはロック呪術師と呼ぶしかないだろう。何をおかしな事を書いていると思っているだろう? だったら下にリンクを張っておいたこの動画を見るといい。これぞまさにロック呪術師の姿じゃないか。
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