復活の早川義夫 22年間の不在は、沈黙と云う歌を歌っていた
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早川義夫の復活
1993年9月13日。22年間の長い不在が終わりを告げる。早川義夫が帰ってきた。復活ライブが行われたのは、江古田のバディーというライブハウスだった。全国にその日を待っていたファンが居たんだろう、小さなライブハウスと云う事もありチケットは即完売。残念ながらオレはそんな歴史的瞬間を見る事が出来なかった。ミュージシャン引退後22年間本屋のおじさんをやっていた男が、なんと歌手として再出発すると言う異常事態。まさかまさかの復活劇だった。当日のレポートを読むと、感涙したファンが多く、会場内にすすり泣く音が絶えなかったという。
そして1994年10月21日、23年ぶりの待ちに待ったセカンドアルバム「この世で一番キレイなもの」が発売された。これだけ間が空けばもう新人歌手と云っていいだろう。47歳の新人歌手のデビューアルバムだw
ニューアルバムの発売は、ファンとしては嬉しい反面、すこし不安に思った。なんといっても22年間も現役を離れていたのだ。でもそれは杞憂だった。届けられた音は実に早川義夫さんらしい、22年のブランクは無駄じゃなかったと思える作品を出してくれた。そこにあるのはジャックスという亡霊を引きずった男では無く、早川義夫という歌手の、そのものといっていい歌曲が納められていた。
早川義夫さんは云う、
「音楽は音でもない、言葉でもない。沈黙なのだ。」と。
この22年間、彼は沈黙と云う歌を歌っていたのだ。
ただ「この世で一番キレイなもの」を聞いていて、ちょっと戸惑いがあった。なんといっても、エロい歌がとても多いのだ。男は50歳にもなるとだんだんと節操がなくなり、平気でエロ話をするようになる。確かに若い頃から、男の頭の中はエロでいっぱいだ。だがそれをはっきりと表に出すのはやはり恥ずかしい。だがおっさんになれば、そんな遠慮が消えてしまう。このアルバムは、そういった中年おやじのエロアルバムなのか? いや違う。このアルバムに歌われている、そういう艶っぽい歌は、純粋な心の情動を歌ったものなんだ。
このアルバム発表時のオレはまだ27歳。これらの直接的な歌に、当時は一寸戸惑ったものだ。だが、再デビューした時の早川さんよりも年上になってしまった今なら、当時の彼の気持ちが良く判る。ここには混じりっ気のない純粋な心が歌われているんだ。47歳だろうが、僕の心は18歳の頃と何も変わっちゃ居ない、と当時のインタビューで語っていた。
そう、早川さんがジャックスで歌っていたように、子供の中に大人は生きているんだ。エロは生命力なんだ。創造の源なんだ。彼が歌を歌おうと云う意欲は、そういうリビドーが元になっている。色気を無くした人間に、良いものなんか作れっこない! 表現者は、そういう心の奥底にある、情動を恥ずかしげも無く晒すことによって、人に感動を与えられるのだ。
渋谷公会堂コンサート
93年からライブハウスを中心に歌い続けた早川さん。どの公演も小さなライブハウスだったので、即売り切れで中々彼の歌声を生で聞く機会はなかった。
オレが早川義夫さんの歌を初めて生で聴くことができたのが、1994年11月14日の渋谷公会堂でのコンサートだった。会場は満席だった。アルバム同様、バンド形式で彼の歌が披露された。バンドがあろうがなかろうが、彼の歌は彼の歌だった。歌が演奏を超越していた。ステージはそっけなく進む。MCは殆どなく、次から次へと新しいアルバムの曲を中心に歌い続ける。この時の様子は映像作品として残されており、VHSやLDで発売されていたのだが、残念ながら未だ未DVD化の状態。こんな大きなホールで、満員の客の前で歌うなんて、ひょっとすると早川義夫さんにとって初めてのことだったのかもしれない。
その次に彼の歌を聞く機会は、渋谷ジャンジャンでのコンサート。1996年7月19日。この時はピアノ1台での語り弾きだった。2年も演奏活動をしていれば、多少はステージに慣れたようだ。早川さんは、ぼそぼそと少しははMCが入り、ちょっと笑いが起きたことだけを覚えている。バンドとの華やかなステージも良かったのだが、彼の歌には過剰な装飾は必要がない。むき出しの歌が、むき出しのような魂がそのままそこにあるような、そんなライブに、あと一体何が必要だ? ピアノ一台で十分だ。
この数日後、オレは10年住んだ東京を離れて、再びオホーツクの田舎町に帰る。東京生活の最後は早川義夫さんのライブで締めくくる事になったわけだ。
2004年北海道・北見市のライブハウス
今のところの最後に早川さんの歌を聴いたのは、2004年10月19日、北海道・オホーツク地方の中心都市・北見市のライブハウスだった。オニオンホールと云うそのライブハウスは、元は玉ねぎ倉庫だったところ。その時早川さんは野狐禅(竹原ピストルが売れる前にやっていたバンド。良いバンドだがちっとも売れなかった)の前座、今で云うタイバンだった。ハードコア早川義夫ファンのオレは狂喜して駆けつけたのだが、会場に観客は20人も居なかった。オホーツク管内に早川義夫のファンはオレ一人って事だな。狭いステージに置いてあるのはエレピ一台。早川さんは珍しく客に向き合って、殆どの時間うつむいたまま7曲ほど歌ってステージを後にした。
その日はオレ以外の観客は、全てが野狐禅を聴きに来ていた。野狐禅見たさに集まってきた観客は、早川義夫の暗い異様な歌に恐れおののき、歌い終っても拍手ひとつ起きなかった。これじゃ早川さんが可哀想だと、オレが一生懸命拍手し始めると、連れて回りの若い子達も義理で手を叩き出した。彼の歌に初めて遭遇した人達は、あの濃厚な歌を聴いて、どう反応して良いか解らなかったのだろう。
ライブ終了後に、もうすでに持っているにも関わらず、「かっこいいことはなんてかっこわるいんだろう」を購入して、スタッフにサインを頼んでみた。直接本人に目の前でサインして貰いたかったんだけども、早川さんは控室に引っ込んだまま出てこなかった。スタッフが楽屋に行き、サインしてもらい届けてもらった。若い人に少しでも彼の歌が伝わればいいのに。あのライブを聞きに行った若い子達はきっとその夜、サルビアの花を持ったエロオヤジに追いかけられると云う悪夢にうなされたに違いない。
70歳で再び活動停止
今年2018年、奇跡の活動再開から25年も経ってしまった。本屋のオヤジをやっていた期間よりも,歌手生活の方が長くなってしまったのだ。彼のサイトには日記があり、ぼそぼそと呟くような投稿が面白かったのだが、今年の5月で更新がぷっつりと途絶えてしまった。ツイッターでも5月10日のツイートを最後に、ぷっつりと更新が途絶えてしまった。
当日のライブに行った人のツイートによると、奥さんがご病気で看病に専念するらしい。早川義夫さんをずっと精神的に支え続けてきた奥さんの回復を願うばかりだ。
彼は再び、沈黙と云う歌を歌い始めたのだろうか?
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