いつも孤高の男だった 早川義夫
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かっこいいことは、なんてかっこわるいんだろう
ジャックスの解散後に早川義夫さんは、1枚だけソロアルバムを出した。「かっこいいことはなんてかっこわるいんだろう」という長いタイトルのこのアルバムは、1969年に発表された。殆どの曲はピアノ1台の伴奏で演奏され、商売っ気のかけらのないアルバムだった。もうシンプルを通り越して、気が滅入るくらい寂れたアルバムに仕上がっている。
それにも係わらず、このアルバムの中には、パンクやニューウェーブの萌芽みたいなものが見え隠れしているのは何でなんだろう? リズムボックスとピアノ演奏だけで歌われる「無用の介」なんかは、今の耳にはテクノポップの原形に聞こえる。
無用の介といえば、何処にも落ち着く場所の無い男の心情を歌ったこの歌は、時代劇俳優大河内伝次郎に捧げられた歌だ。だが、まさにこの時の早川義夫さんの心情を歌った歌にしか聞こえてこない。誰の真似でもない、群れる事が出来無い、時代に合わせた事なんかする氣がはなっから無い、そんな人は孤高になるしかない。
ジャックスという、誰とも違ってしまったロックバンドをやり、そして世間から評価されることなく消えていった。だが、これらの孤高なシンプルな楽曲は、のちのパンクロックやニューウェーブの萌芽になった。誰の真似をするな、人まねじゃないオリジナルを作れ!という。
若くして本屋のオヤジに
その後早川さんは音楽業界からひっそりと足を洗い、人前から消えてしまった。そして川崎の武蔵新城駅前に「早川書店」を開き長らく本屋のオヤジとして第2の人生を歩んだ。この時に書いた「僕は本屋のおやじさん」という本は、ベストセラーとして長く読み次がれて行く。皮肉なことにレコードは全然売れなかったというのに。
そんな本屋のおやじさん時代の早川さんに、をオレは1度だけお目にかかった事がある。それは1988年の事だった。早川書店の場所を見つけ、ある日意を決して訪問することにしたのだ。ジャックスファンの聖地、早川書店。
書店に入ると奥さんが店番をしていた。緊張しつつも「今日は早川義夫さんはいないのですか」と尋ねると、奥さんは店の奥に呼びに云ってくれた。しばらく待つと、すごく面倒くさそうに、顔に迷惑と薄く書いてあるのが見えるような表情で、のそりと早川さんが出てきた。きっとこれまでにも何百人もオレみたいなファンがやってきていたのだろう。憧れの早川義夫を目の前にしながらも何を話していいか分からなくなった。
しどろもどろながら、どうでも良い事を2事、3事話した。早川さんも、しょうがないな早く帰ってくれないかな、と云うオーラを遠慮がちに出しながら、どうでもよさげにオレの話に相づちをうってくれた。心ここに在らずだ。
その頃は早川さんにとって、歌手だった自分はもう忘れてしまいたい過去だったのだろうか? 全く売れなかったと云うそんな過去の亡霊に会いに来た、今更のファンなんて迷惑きわまりなかったんだろうと思う。
そして彼が書いた本にサインをしてもらって、早々にお店を後にした。ただの書店のおじさんに会いに、オレはいったい何しに行ったんだろう?
1980年代半ばにジャックス再評価
ちょうどその頃はちょっとしたジャックス再評価ブームが起こっていた。雑誌・宝島に中川五郎さんと早川さんの対談が掲載されていた。その中で早川さんは「最近歌を歌いたくなった」と云う事を言っていた。
その時は、「おお、ついに早川義夫復活なのか!」 と心がざわめいた。だけれどもその後、待てど暮せど、早川義夫が復活するなんて話は聞こえてこない。やっぱりもう彼は過去の人なんだなぁと、ちょっとだけがっかりした。期待なんて、自分の心が作り上げるものなんだ。
ジャックス再評価から数年経った1993年。突如早川義夫が復活すると言う話が駆け巡った。彼が音楽業界から去ってから22年目のことだった。その時、早川義夫46歳。
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