元ジャックスのギタリスト、水橋春夫氏を悼む
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水橋春夫さん逝去
水橋春夫さんが亡くなってしまった。8月5日、心不全で69歳の生涯を終えられてしまった。何とも胸が痛い出来事だ。今日本中で、70歳前後でバタバタと人が死んでいっている気がする。合掌
右上にいるのが水橋春夫さん
多くの人は水橋春夫さんていったい何者? と思うだろう。日本のロックシーンは「ジャックス」から始まったとオレは考えている。1968年のことだ。日本の最初のロックバンドにして、最高のロックバンド、そして最異端のロックバンド、それが「ジャックス」。そのギタリストが水橋春夫さんだった。彼らの1stアルバム「ジャックスの世界」で、水橋春夫さんはギタリストとしての非凡な才能が遺憾なく発揮されていたのだが、彼はこのアルバム1枚でバンドを脱退してしまう。
水橋春夫さんはジャックス脱退後音楽業界に残り、ディレクタ、プロデューサーとして多くのバンドを世に送り出してきた。ウィンクは彼が手がけた中で最も成功したグループだと思うのだが、横浜銀蝿の事も忘れられない(笑)。といって銀蝿のディレクターをやっていた事は、オレはつい最近知ったんだが。こんなバンドまで手がけていたとは。ちなみに横浜銀蝿はデビュー時は大学生。彼らに熱狂していた世のツッパリ君と違って本当は頭の良い人達だった。ツッパリ君達は見事彼らの思惑に乗せられて、ロッケンロール♪ していたわけだ。
そんな音楽業界の裏方に徹していた彼が、10年近く前に早川義夫さんのライブにギターで参加したという話を聞いた時には正直驚いた。もう絶対に表には出ないと思っていただけに。ひょっとしてジャックスが再起動するのではなんて、淡い期待を抱かなかった、といったら嘘じゃない。早川義夫さんの音楽活動も、再デビューの頃は別にして、最近は実に地味だった事もあるし。だけどもやはり、それは無かったね。それじゃただの懐古趣味の、金もうけの為の醜い老人バンドになってしまう。それはジャックスじゃない。ジャックスは今も水晶宮で永遠に演奏し続けているのだ。
やはり水橋さんはロックを創造したかったのだろう。2015年元ジャックスのメンバー谷野ひとしさんと「水橋春夫グループ」を結成して、アルバム「考える人」をリリースする。ジャックスを脱退して48年後に再デビュー。早川義夫さんは引退後23年経って再デビューしたが、水橋さんはこれを大幅に上回る記録を打ち立てたわけだ。70近いじいさんが、命を削ってロッケンロール! なんて素晴らしいんだろう。
この「考える人」これがまた、何とも言えない良い音で、何処の時代にも属しない音にオレは唸ってしまったよ。このギターの音は水橋春夫さんにしか出せない。そしてジャックスの代表曲の一つ「時計をとめて」を作った人だけ有って、なんとも優しいそのメロディー。残念ながら現在廃盤で、ダウンロードでしか聞けない。おじさんはCDで聞きたいのだ。その後2016年には「笑える才能」を発表。
水橋春夫グループ “黄昏の記憶”
GS I Love You (Short Ver.) / 水橋春夫グループ
水橋さんはこれからまだまだ音楽活動をする氣満々だったようだ。死の直前まで水橋春夫グループの、3枚目のアルバム制作途中だったと聞く。爺さんとはいえ、いよいよこれから輝くはずだったのに。
水橋さんは今も時計の止まった亜空間の水晶宮で、永遠に演奏し続けているんだと思う。
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