アルベマス(1985) フィリップ・K・ディックが描く全体主義の恐怖 これは現代だ!

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アルベマス フィリップ・K・ディック 東京創元社文庫版

「1984年」は「2022年」になる

デストピア小説と云えば「1984年」が有名だが、フィリップ・K・ディック(以下フィル)も傑作デストピア小説を書いている。アルベマスがその作品だ。読後のこの閉塞感、絶望感は1984年よりもヘビーだとアタシは思う。最後に微かな希望が残されているのも良い。

2020年に始まった疾病騒ぎは、世界中を全体主義に染めてしまった事をどれほどの人が気がついたのであろう? 無意味なマスクを装着しないと何処にも行けない。未だ治験中の毒薬を打たなければどこにも行けないような同調圧力。疾病や毒薬に関する情報は権威の監視下に置かれ、都合の悪い情報は弾圧され削除されてしまう。

そして2022年に始まったウクライナでの紛争。何故関係のないアメリカがしゃしゃり出てきて、フェイクニューズを世界にまき散らす? 紛争に関する情報は統制され、誰かにとって都合の良いものだけが、マスメディアと呼ばれる洗脳機関から発表される。

さるぐつわを自ら顔につけ、TVに釘付けになり、もはや自分の頭では何も判断出来なくなった国民。これを全体主義と呼ばずして何と呼ぶのか? 2022年、現代はフィルが描いた悪夢の世界が現実になった年として歴史に刻まれるのだろう。矯正機関が設置されるのもそう遠くないだろう。

フィリップ・K・ディックが書いたもう一つの「1984年」

アルベマスの舞台は1970年初頭のアメリカ合衆国。共和党の大統領フェリス・F・フレマント(Fはアルファベットの6番目。つまり666を暗示している)の治政下。謎の共産主義組織アラムチェックの浸透からアメリカの自由と民主主義を守る為と云う口実で、国中がどんどんと全体主義化して行く。自由は奪われ、言葉も奪われる。政府によって統制された社会は、まるで敵対するソビエトの社会そっくりじゃないか!

この小説の主人公は2人、作家フィリップ・K・ディックと親友のレコード店の店長ニコラス・ブレディーだ。彼ら2人はこんな不自由な社会で懸命に生き延びようとしている。そんなさ中にニコラスは神秘体験をする。何か聖なるものが、星の彼方から彼にメッセージを送ってきたのだ。ニコラスはその存在をヴァリス呼んだ。ヴァリスに導かれ、ニコラスは圧政に静かな抵抗を挑む。原始キリスト教、全体主義の恐怖、異星人の地球への介入、いろんな要素が複雑に入り組み混じり、彼ら2人は自由を求めて、困難な時代に懸命に対峙する。

さすがフィルだけに、デストピア小説を書いても一筋縄では行かない。あらゆる要素が入り組み混じり、フィルらしい神話世界を構築して行く。ひょっとするとフィルのファン以外の人が初めて読めば、とても混乱する内容なのかもしれない。これはSFなのか? それとも宗教小説なのか?と。だけれども、非常によくねられた素晴らしいプロット、フィルにしては珍しく破綻の無い展開なので、この続きは是非とも自分の目で確かめて欲しいと思うのだ。

自由が少しずつ国に奪われ、アメリカが全体主義化して行く。誰も、何も信用出来なくなり、人々はどんどんと孤立化して行く恐怖社会を描くこの小説。まるで現在を見ているようではないか。

ヴァリスの原形がアルベマス

アルベマスは1976年の夏には書き上げられていた。もともとはValisystemAという題名で、DAW出版のためのやっつけ仕事として、フィルはこの作品を書いたらしい。彼の出版エージェントはバンタム社にこの作品を持ち込む。ところがバンタム社の担当者マーク・ハーストはフィルとの会話を通じて、持ち込まれた原稿を初稿であると勘違いしてしまったという。

その行き違いから、マークから書き直しをお願いされ、結局フィルは書き直すこと無く、フィルの神秘体験を元にした全く違う別の小説「ヴァリス」を書き上げることになったという経緯がある。

結局このValisystemAはフィルの死後1985年に、アルベマス(原題はRadio free Albemuth)としてようやく日の目を見ることになった。こんな傑作小説が、こんなにも長くお蔵入りしていたのが悔やまれる。

アルベマスでは、フィルとニコラスの2人が主人公として、交互に視点を交換して話が語り継がれて行く。フィルのファンならすぐに判るであろうが、ニコラスと云うのはフィルそのもの。この作品で描かれているニコラスの神秘体験と云うのは、フィルが実際に体験した事ばかりだ。

それがこの小説では、ニコラスと云うフィルの友人と云う形で彼の体験が語られているのが面白い。アルベマスでは別人格の2人として描かれているが、ヴァリスではこの構造がフィルとホースラバー・ファットと云う、フィルだけが見える妄想のフィルの別人格に置き換えられる。

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アルベマスを超えた2022年の社会

アルベマスでは存在すら証明出来ない謎の共産主義組織アラムチェックの恐怖を国中に流布し、国民の自由を奪う様が描かれている。その様はまるで、感染の恐怖を煽りながら、その影でドンドンと個人の自由は狭められている現在そのものじゃないか。ソーシャルメディア上の言論統制が進んでゆく。内海聡医師はツイッター上からは追放されてしまった。極右扱いされているAdam Mikeも同様だ。奴らにとって都合の悪いものは、何かのレッテルを貼られて亡き者にされてしまう。これはまさにアルベマスの世界だ。

こういった事を「ざまぁ」「自業自得」と嗤う向きもいるだろう。次はあなたのその口が閉ざされる番だ。ああ、そういうあなたも既にマスクで口が閉ざされているね。

■リンク:内海聡のTwitterアカウント凍結

アルベマスでニコラスは語る。


「フェリス・フレマントは単にこの国を支配してるだけじゃない。人の心も支配しているんだ。そして人の心を卑しいものにさせている」

フィリップ・K・ディック アルベマスより

フェリス・フレマントを、コロナに置き換えたら、まさに2022年の社会の事を言っているみたいじゃないか。

いや現実は、この小説以上の全体主義社会になってしまった。アルベマスではフィルがニコラスが、この圧政にたいして抵抗を試みようとしている。だが現実では抵抗をするどころか、由比諾々と自ら進んで為政者の都合のいいように、自分の自由を差し出し、家畜の印・マスクをして、喜んで何やら分けのわからないものが入っている毒を注射する社会が出現してしまった。

もはやこうした全体主義社会は、国民自らが望んで作り上げたものなのだ。1984年というのはもう遥か過去の話だ。こんな悪夢を少しでも紛らわせるために、アルベマスのようなデストピア小説を楽しむのだ。何たる倒錯だろう。


アホな左翼学者(例:ノーム・チョムスキー等)は、これまでの自分が主張してきた事を、平気で否定する発言をしていることに気がついていない。自由を歌ってきたロック歌手は、他人の口を平気で閉ざそうとしている。これだからリベラルというのは信用できないのだ。これじゃアルべマスの世界が、楽しい童話の世界にさえ思える。現実はリベラルの暴力が猛威を振るっている。

これからは「2022年」が全体主義社会を差す言葉になるのであろう。さらば自由。

※この傑作小説だが、現在は廃盤になってしまったようだ。プレミアムがついた中古品しか手に入らない。たぶん新訳版、新装版が用意されていると思いたい。頼みます東京創元社さん。早川書房さん。


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