いっぴきになっても、チャットモンチーを背負っている高橋久美子さん

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4月10日はくみこんの誕生日

 4月10日は高橋久美子さんの誕生日だった。彼女がチャットモンチーを脱退して今年で8年になる。チャットモンチーのドラマーとしてよりも、作家活動の方が長くなってしまったわけだ。だが、未だにチャットモンチーの元ドラマーと云われる。それは仕方の無い事だろう。脱退したとはいえ、彼女はこれからもチャットモンチーを一生背負って生きて行く。

 高橋久美子こと、くみこんは現在は作詞家、作家として活動している。チャットモンチーでデビューした頃は、まだ大学卒業したて感満載だったが、それから早十数年くみこんも30歳代後半になってしまった。この人は、というかチャットモンチーそのもののたたずまいが、ちっともロックぽくない。そんなロックぽく無い人達が、実にロックぽい音を出す所にチャットモンチーの魅力があると思っている。

 チャットモンチーのアメリカツアーのドキュメンタリーがある。カメラが空港に向かうバンドメンバーを捉えるシーンで、何故か高校の国語教師みたいな日本人のオンナをアップにした。なんでこんな人を捉えるんだ? と思ったら、それは普段の日のくみこんだった。牛乳瓶の底の様な眼鏡をかけて、これじゃ高校教師か売れない少女マンガ家の様だ。ロッカーとしてのオーラが出ていない(笑)。

 そんなくみこんがステージ上では独創的で、その華奢な体からは想像も出来ない大胆なドラミングを披露する。彼女のドラムは、ロックドラムというよりも、なんだかオーケストラのパーカッションをドラムに置き換えたような不思議な味わいがある。技術的に彼女より卓越したドラマーならいくらでも居る。けれども、こんなドラムを叩けるのはくみこんだけ。彼女のドラミングで特にオレのお気に入りは、まるでカミナリが落ちてきたようなダイナミックなドラムで始まる曲「拳銃」だ。

スチックをペンに持ち替えて

 今は作家として活躍している彼女なので、もうドラムを叩くなんて事は無いのだろう。
 くみこんは昨年5月にエッセイ集「いっぴき」を発表している。そのエッセイ集はチャットモンチーを脱退した2011年の作品から始まっている。彼女と詩との出会いから、チャットモンチー時代の出来事、さらには静かな結婚生活の内幕などが綴られている。くみこんの内面を表しているようで、読んでいてとても静かな文章だ。なのに熱い。
 チャットモンチーのファンとしては、やはりバンド時代を書いた文章が特に興味深く読めた。チャットモンチーの音楽創造の秘密が、ひっそりと描かれている。

 音楽を作る際に詩先、曲先等と云われるが、チャットモンチーの場合はドラム先だったのか。そんな事がこのエッセイから浮かび上がってくる。くみこんの詩には何か影がある。その影はチャットモンチーの音楽を、ただのポップス以上のものに仕立てている。

 これと云った友達のいなかった高校時代。大学では仲間と愉しくやっていたようだが、だけども彼女の心の中には誰にも見せる事の無い闇が隠されていた。孤独、そして理想と現実のギャップに絶望し、教育大学に行きながらも教師への道を諦める。そんな葛藤、絶望と希望、それがチャットモンチーの音楽に繋がっていったのが判った。

単純な曲なのに、曲が進むに従ってドラムがどんどん盛り上り、すさまじい盛り上がりを見せるのが好きだ。

音楽がミュージシャンを選ぶ

 一つ一つの「音楽」は生きているものなんだと最近強く思うようになった。「音楽」そのものは、見る事も出来なければ、触る事も出来ない。物理的にはこの世界には存在しないものだ。だけども間違いなく存在している「音楽」と云うエネルギー。「音楽」とは何か精霊のような、意志を持った存在なんだと思う。その「音楽」がこの世界に現われる為には、その「音楽」のエネルギーに応じた、犠牲が必要なんじゃないかって思う。

 そう、くみこんが作った詩、えっちゃんが作った曲、それが合わさり「音楽」になる。その各々が出来る為には、それ相応の犠牲が必要とされるのだ。くみこんで云うなら、学生時代からの孤独、教師に成れなかった挫折、それらの事が無ければああした歌詞を生む事が出来なかったろう。逆に考えるなら、「チャットモンチーという音楽」がこの世に生まれる為に、各々のメンバーが選ばれ、そしてくみこんには上記のような試練が与えられたんじゃないのか、と。

 そう考えると、2人になったチャットモンチーの楽曲も、あれらの楽曲がこの世に出てくるためには、くみこんの脱退は必須だったんだろう。「音楽」がこの世に出る為に、ミュージシャンを選び、その音楽に相応しい犠牲を強いるものなんだ。

犠牲

 くみこんのこの「いっぴき」には、チャットモンチーの音楽の秘密が少し描かれている。そして、そう、もちろん文字も同じ事だと思う。この「いっぴき」を生み出すための、くみこんの犠牲がここには描かれている。クリエイティブと云うものは、そういうものなんだと思う。目には見えない、手には触れる事の出来ない作品、それは音楽だったり、小説だったり。そういう創造物をこの世に生み出すには、アーティストのそれ相応の「犠牲」を必要とするのだ。

 「いっぴき」の終りに、チャットモンチー(済)のえっちゃんが後書きを寄せている。その中で、えっちゃんの息子は、3人チャットモンチーの事を知らないと書いていた。そういうオレも、3人のチャットモンチーを目にする機会が無かった。それが残念で仕方がない。
 チャットモンチーと言う「音楽精霊」があの3人が引き寄せて数々の楽曲を生み出した。くみこんはチャットモンチーに引き寄せられたのだ。エッセイの中で彼女は、チャットモンチー脱退後に友達バンドのヘルプでドラムを叩いた事を書いている。だが他のバンドでは上手にドラムを叩けなかったくみこん。チャットモンチー以外ではちゃんと叩く事の出来ない自分の事をポンコツドラマーと自虐的に呼んでいた。チャットモンチーの曲は誰よりも上手に叩けると言うのに、普通のドラムが叩けない。チャットモンチーと云う音楽の精霊がこの世に出る為に、彼女を必要としていたんだと思う。

 それはともかく、くみこん誕生日おめでとう! こんごも女いっぴき、ファンを楽しませてもらいたいと思う。

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